前原弘昌のバイク旅

*プラスティック論争

2009年10月30日(金曜日)

★プラスティック論争
8月4日 (土) 超ド快晴 30℃  10日目

 のんびりと涙を浮かべてうなだれている訳にもいかず、ユースホステルに荷物はおいたままにして、8時半、XTを押して出掛けた。そう大きな町ではないが、これでも冬か、と思えるほどの暑さのなか重いXT600を押して歩くとなると大変だ。しかし、これ以上乗ってマシンのダメージを大きくすることは出来ない。外から見ただけでも、金属粉がいっぱいホイールに飛び散っている。
 どうなることやら、と思っていたが、やっぱり探してみるもんだ。2軒目のパーツショップで、モーターサイクルショップがあると聞いた。道順を教えてもらい、また1キロほど押し歩く。
「あったー」
 『TABLE-LAND SMASH』と店の名が板にペンキで書いてある。解体されかかったポンコツ自動車がいっぱい並んでいる店のさらに奥に、2ヵ月前に始めたというバイクの修理専門店はあった。いや修理工場といった方が正しいか。新車などもちろんおいてなく、油のついてないものはない、といった具合だが、俺にはそれで十分だった。
「後輪をやってしまった。診てもらえないだろうか」
 状態を説明すると、背の高いオーナーが、やっていた仕事を中断して、すぐにみてくれる。彼は一言も喋らないが、こちらの言うことにはきちんとうなづいてくれる。リアタイアをはずすと、やはりベアリングが焼き付いていた。予想以上にあちこち擦り切れてひどい状態だ。が、何とかなりそうな、いや、してくれそうな気配。しかし肝心のベアリングが、このサイズに合ったものがないとのこと。慎重にサイズを測って、先程のパーツショップへ車で出掛けてくれる。
 もし適合するパーツがなかったら、ダーウィンかアリススプリングスあたりから取り寄せることになるだろう。そうなると、よくて2~3日、悪くすれば1週間はここで滞在しなけりゃならない。日数にゆとりのない俺としては、先の計画が不安になる。彼が分解していたエンジンのそばに腰を下ろし、タバコに火を付けて大きく吸い込んでゆっくり吐き出した。焦っても仕方がない。その時はその時。別の面白いことでも見つけるか。工場の中をあちこち見渡しながら、そんなことを考えていた。

 10分後、彼が帰ってきた。車から降りると、親指を立ててウィンクしてくれた。もう目茶苦茶うれしかった。すぐ作業に取り掛かってくれる。
 それから約1時間。立派に出来上がった。全部で90ドル(約10.800円)。予備にと思って隠し持っていた100ドル札が役に立った。財布の中にはもう70~80ドルしか残っていなかったのだ。
 つぎつぎとバイクを持ち込んでくる者がいて、ずっと作業を眺めていたので、帰り際記念撮影をすることにした。そのロフティー(背が高いという意味)という名のオーナーは(もっとも使用人はなく、事務もメカニックも兼任だったが)
「服が汚れているので」
 と言ってわざわざ別のに着替えてくれた。内陸に住むオージーに対するイメージが、この素朴さでアップしたのはもちろんである。

 それにしてもラッキーだった。これで計画通り旅を続けて行くことができる。口元の筋肉が自然と両側ともつりあがってくる。再び走れるようになった相棒に乗り、町の裏通りの広い道に出ると、我慢出来ずアクセルを乱暴に開けた。前輪が少し浮くのを押さえ付けながら、急加速していく。昨日の欲求不満が一気に解消されるほどの爽快感。
 小躍りしたい気分でYHに戻ってきたのが11時過ぎ。昼に出発すれば、500km南のアリススプリングスには、夕方までには着けるはずだった。が、やめとこう。これも何かのタイミングだ。今日は休日にしよう。すごくいい天気だったし、この際バイクの手入れでもしておくか、と部屋の前まで運んで、時間を楽しみながらやった。前の芝生で昼寝をする者、音楽をかけてトランプに興じる者、いいにおいをさせながら昼食を作る者、みんな思い思いのことをやっていて、ここでは時間が随分ゆっくり流れている気がした。

 午後は日本のツーリングクラブ、ウィンディー・ドリームの機関紙『風のたより』への原稿を書き、はがきを数枚書いているうちに陽が落ちた。今日は日本人の宿泊客が多い。俺を含め4名もいる。
 深夜までニュージーランドのジム、ディオン、マネージャーでイギリス人のティム、同じくダニエル、名前は忘れたがその他の国の人も、ニッポン人の山村まどかさん、上田朋寿さん、大麻耕平さん、そして俺もみんなで安いワインを飲みながら、えらく盛り上がった。もうここに住みついてしまっている髭もじゃのプロレスラーみたいなジムと大激論。
「スーパーでくれるビニール袋を、この国ではプラスティック袋と言うが、あれはどうしてだ」
 俺が、そういったことから始まった。
「何も不思議なことではない。あれはプラスティックだ」
 と言うジム。
「いいや、ああいう薄い袋は、ビニールと言う。プラスティックとはこういうカードみたいな固いものを言うんだ」
 と、キャッシュカードを見せるが、彼は手に持っていた袋を指しながら、
「これはそれを薄くしたもので、材質が同じだからプラスティックだ」
 と言う。さらにジュースの缶を持って、
「これを鉄だとは言わないのか、溶かせば薄かろうが厚かろうが同じだ」
 とたたみかけてくる。こうなったらもう引けない。
「日本では、同じものでも厚さや薄さ、大きさで呼び方を変えるんだ。ぶりという魚は成長するに従って、呼び方が変わる。小さい時は、つばすとか、はまちと呼ばれる。こう言う繊細な感覚があるのが日本文化だ」
 酒の勢いも手伝って、急造した文化論まで登場し、この議論は延々と続いた。最後には、とにかく日本ではこれはビニールと呼ぶのが正しい、と言い続けたが、理論的には彼のほうが正しかったのだろう。多分。ビニールもプラスティックもナイロンもポリエステルも皆石油から作るぐらいの知識はあったが、それ以上の深い認識は持っていなかった。呼び方に何の疑問も持っていなかったし、こんなこと恥ずかしながら考えたこともなかった。
 彼はロードトレインの運転手。ぶっ飛んでいる生活をしているように思っていたが、タバコとシガレットの違いとか、英語の色々な面白い話も聞かせてくれて、彼はここですっかり俺の先生になってくれた。彼から受けた影響は大きかった。俺もこういう熱く燃える寺子屋みたいな塾にしていきたいものだ。

 気が付くと夜はすっかり更けていた。消灯?そんなものはここにはなかった。自分の使った部屋を掃除する以外、ほとんど規則などないとも言えるようなこのユースはまさに自由の楽園。常宿している人達もお固い人はいない。しかし、午前2時から閉店前のクラブに飲みにいくようなツアーには、さすがに参加せず、寝ることにした。明日はアリススプリングス。そして明後日はいよいよ夢にまで見たエアーズロックだ。

テナントクリークYH連泊(7$)
本日の走行  ごくごく わ・ず・か

…次回「ドジ2連発」へ続きます

*オー・マイ・ゴッド!!

2009年10月23日(金曜日)

★ オー・マイ・ゴッド!!

8月3日 (金) 超ド快晴  9日目

 アウトバックに入って今日で3日目。ついにトラブルが発生した。この見渡す限りの荒野にも少し慣れて、気がゆるんでいたのかも知れない。
 バリー・ケイヴズという小さな町で給油し25キロ走った所で、サングラスをしていないことに気がついた。
「さっきのペトロスタンドだ」
 急ぎ引き返す。140km/hで飛ばし、10分少々で着いた。だが店員に聞いても、さっきからここで休憩していた軍の移送隊の人たちに聞いても、知らないと言う。道に沿って注意深く探したが見付からず。待てよ、ここの手前50km程のところで休憩したが、あの時バックミラーに掛けたままだったか。
 しかし、50kmはちょっと遠い。また買えばいいや、と思おうとするのだが、気に入っていたし、どうしても気が納まらない。既に踏み潰されて壊れていても、残骸だけでも持ち帰ってやりたい。ケースだけが残っているのは何だか悲しい。こんな気持ちは引きずりたくない。フルスピードで更に引き返す。
「あった!!」
 側道の赤土道路のほぼ真ん中で金色のフレームが光っている。片方のレンズは外れていたがキズはなかった。あれから1台の車も通ってないのだろう。とんだハプニングだったが、引き返して来た甲斐があった。

 結局150km走って、やっと振り出しに戻った感じだ。が、これはトラブルの前兆だったのだ。今日の目的地、テナント・クリークには少し早めに着いて、ゆっくりしよう。そう思って130~140km/hで飛ばしていると、突然リアタイアが激しくブレ始めた。
「しまった!!」
 後ブレーキを踏むと、ガガガとイヤな摩擦音がしたが、かろうじて路肩へ停めることができた。リアタイヤをチェックするとガタガタする。ナットを締めつけて50mほど走るが同じだ。何回も同じことを繰り返したが、状況は少しも変わらず、とりあえず、リアブレーキとディスクが擦れているのだけでも解消しようと、リアブレーキをとりはずし、タオルとビニール袋に包んで針金でスイングアームに固定する。しかし走り始めると今度は前以上に横ブレする。構造に詳しい人ならもっと他にいい手を使えるのかも知れない。だが知識と経験の乏しい俺には、ベアリングだろうな、とぐらいしか分からなかったし、原因が分かったからといって手持ちの工具ではどうすることもできなかった。
 初めの頃60km/hで走っていたのが、50km/h、40km/hとスピードも落としていかざるを得なかった。次に打つ手を考える。道は遥か彼方までずーっと続いているし、修理しようとヘルメットをとると蠅がまたたく間にいっぱいたかってきて、目やら鼻、耳、口と所構わず動きまくる。暑いけれど、ヘルメットを被って作業をする。汗が目に入ってたまらん。
 時たま通る車は、反対車線でもほとんど止まってくれて、
「大丈夫か?」
 と声を掛けてくれる。アウトバックでは人の事も気遣うのが当然みたいだ。そういえば昨日気付いたのだが、すれちがう車からみんな合図を送ってくれている。やっぱりこんなだだっ広い所を走っていれば、暇でもあるし、心にゆとりも生まれて、おおらかになるのかな。
 今出来ることは、とにかく前へ進むことだ。どうしても動かなくなったら、その時はその時だ。幸いなことに、20~30km/hでは何とか走ることができる。ありがたい。いつアウトになるかわからないという不安を抱いたまま、ずっと30km/hをキープ。
 それにしても時速30kmがこんなに止まりそうに遅いものだとは思わなかった。広い土地に長い道だからよけいにそう感じるのだろうが、フロントタイヤのすぐ前を見ない限り、全く動いていないように思える。後からくる車は、すごいスピードで追い抜いていく。テナント・クリークまであと90km。
「がまんだ。こういう時はがまんしなければならない」
1キロを2分かけて進んでも、炎天下、このクソ重いのを押して歩かなければならない最悪の事態を考えれば、桁違いにましだった。町から町までの距離は今日はずっと200km以上で、その間家などない。大自然のなかでひたすらカメ運転に徹した。

 ダーウィン~アデレードと、この大陸のほぼ中央を南北に結ぶスチュアート・ハイウェイに出る。あと20数kmだ。ここを左折して南に下っていく。もう西の空に陽が沈み始め、俺の左に長い影が延びる。
 今日のことは、この先大事故を引き起こさないための警鐘だったのかも知れない。慣れて、自然や機械を甘く見てしまいそうになっていた俺には良い薬になった。などと反省しつつ、心の奥底ではどこかこういう事態を楽しんでいる自分がいる。
「人生とは失敗も出来る訓練の場である」
 と、ある型破りなえらい和尚の言葉を真似て、ヘルメットの中で叫んだ。
 こんな取りとめもないことを考えながら、6時半過ぎ、やっと内陸の町テナント・クリークに到着。つっ・か・れ・たぁーー。何はともあれ、まずビールだ。ビールが飲みたい。酒屋を探し、店の前に座り込んで一気に乾いた喉へ流し込む。冷たい液体のかたまりが喉の奥へ突き刺さった。
「ぷはーっ」
 目茶苦茶うまい。飲み干すと急に腹もへってきた。隣のスーパーで食料を仕入れてYHに向かった。4日ぶりにシャワーを浴び、洗濯をして米を炊く。きれいとか雄大とかいう言葉でしか表現できない自分が情け無いが、とにかくすごい星空だ。今日の苦闘から解放され、ちょっとくつろいだ気分になった。だが、聞いたところこの町にはバイク専門店はないらしい。
 Oh! My God!!

テナントクリークYH泊(7$)
本日の走行 Camooweal ~ Tennant Creek 612km

次回「プラスティック論争」へ続きます

*何もないからコーフン!

2009年10月02日(金曜日)

★ 何もないからコーフン!

8月2日(木) 超ド快晴  8日目

日の出少し前に起きたが、コーヒーを沸かしたりで、出発は8時20分。またまた昨日と同じ360度何もなくアップダウンをしながらどこまでも続く直線。真っ青な空。超どピーカン。この広い空に雲が1つもない。両脇の平原はフラットで、甲子園球場の何倍とか、よく広さを表わすのに使われるが、そんな気にもならない。ほどよい硬さの土で、そこにラインを引くだけで、野球場や陸上競技場が何十万とわけなくできる。
『ふり返れば地平線』という北海道ツーリングの本があったが、ここは『どっちを向いても地平線』。それにしても、何かがあるから感動する、と言うのは分かるが、何もないのを見てコーフンし、感動すると言うのもおかしなものだ。
そんな訳で少し走っては写真を撮ったり、ビデオを構えて走ったりでいつものことながら200kmまでは、やたら時間がかかった。
やがて、彼方に灰色の煙が見えてきた。内陸の鉱山の町、マウント・アイザだ。緑の木々がある公園が印象的で、さながら砂漠のオアシスを抱彿させるこの町は、妙に人が懐かしく思えるところだった。昨日からの700km程の距離で、こんなに多くの人間は見たことがない。それほど人や町が見当たらない道中だった。ここで給油をしたが、このペトロスタンドには、バイク用のオイルがなかったため、バイクショップを聞いてそこで2度目のオイル交換をする。これから内陸に入って行くと、オイルはネックだ。ケチらずいいものを使おう。

マウント・アイザからさらに西へ、カムウィールという町へ向かう途中、小さなアリ塚が現われた。無数と言えるほど沢山あるのだが、本当に不思議なことに、俺にはその1つ1つが仏や観音、子供を抱いた地蔵にまで見えた。全てがこちらを向いて微笑んでいる。そんな気がした。心理学では、自分の心の中にあるものがそこに写し出されるのを投影と言うが、ならば今日の俺の心には仏がいたのか。バイクから降りて、数枚の写真を撮ったが、現像してそこに写っているものは果たして何だろう。
ところがエンジンがなかなかかからない。最近こんなことはないのに……。
「はーっ」
ため息をついて下を見ると、タンクとシートの間にカメラの電池カバーが落ちてはさまっていた。もしすぐにかかってスタートしていたなら、失っていたに違いない。その後、キック1発でかかった。“仏の御加護”とは思い過ごしか。

西へ進んでいる分、日の入りが少し遅くなっている気がする。5時半、カムウィールに到着。もう少し先へ進もうかと思ったが、次のキャラバンパークまでは400km程あるとのこと。コリンに聞いて以来、夜間走行は危険過ぎる、と、もう何人にも聞いていた。その言葉通り、今日もたくさんのカンガルーの死体を見た。前夜、長距離バスかロードトレインにはねられたのだろう。2~3体が5~10m位の間隔で転がっていたところもあった。奴らはライトに向かって飛び込んでくる。その為この国のアウトバックを走る車はほとんど、前部にカンガルー・バーと呼ばれる大型のバンパーを取り付けている。今日見た死体の大きさくらいの奴が、バイクに突っ込んできたら、こっちの命だって危ない。

少し早いが、今日はここでテントを張ることにした。キャラバンで移動している家族が多い。大型のテント設営や食事の手際が実にいい。楽しみ方も控え目で、テープやCDを鳴らし続けておくということもない。大人も子供も話し、笑いながら、受け持ちの作業をやっているし、気さくですぐにマイト(友達)になれる。
彼らがビールを飲んでいるのを見て、この2~3日アルコールを補給してないことに気づいた。内陸での緊張感からか、本当にすっかり忘れていた。近くの酒場で、缶ビール(VB)2本を仕入れ、飯を炊きながら喉をうるおす。内陸ということもあってか、値段はシドニーの倍。それでも1缶2.5ドルだから日本よりちょっと高いくらいか。

それはそうと、今夜のテントサイトの料金をまだ払っていない。いつのまにか入り込んでしまっていた。あまりに堂々としていたので向こうも気づかなかったのかな。ま、いいか。ゴメンネ、管理人さん。……これで本当に仏が住んでいるのだろうか。

カムウィール・キャラバンパーク泊(タダ)
本日の走行 Richmond ~ Camooweal 602.7km

次回「オー・マイ・ゴッド!!」へ続きます

 

 

オーストラリア紀行~第二章

2009年09月25日(金曜日)

第二章  灼熱の地平線はるかに
      アウトバック~北の熱帯

…快適すぎる環境は
…人の感性を鈍らせる
…自然とつきあう 時間が増えるほど
…人の目は輝き
…いい顔になっていくもんだ
…急がずゆっくり楽しもう
…それがいい

★「この国」よりも「この大陸」

8月1日(水) 曇のち晴れ  7日目

 昨夜寝る前からさんざん迷ったあげく、ついにケアンズはあきらめて内陸に入って行くことにした。青く透きとおった海と珊瑚礁のグレートバリアリーフも確かに魅力なのだが、限られた日数で、より自分らしい旅をしようと思えば、どうしても内陸の魅力のほうが勝るのだった。昨日チェーンが新しくなったことも突入する自信の1つになっていた。

 とりあえず夜のうちにポリタンクにほぼ一杯の熱湯を入れ、冷ましておいた。生水より安心できる。まだ何も知らず、分からないので慎重過ぎるくらいが丁度いい。
 市の中心のマーケットで、3日分の食料品とゴム手袋(雨対策)、じょうご(オイル交換用)など買い揃えた。トラベラーズチェックも200ドル分現金にしておいた。

 こういう作業をしているうちに、腹はすっかりすわってきた。情報収集とかはキリがないし、マシンのチェックもこれ以上は俺には出来ない。万一のときは通りかかる車をつかまえればよいのだ。俺の走るのはストックルート(けものみち。日本とはイメージはずいぶん異なるが)ではないのだから。
 西へ向かい始めると車の量が全く違っていた。ずいぶんと少なくなった。グレートディヴァイディング山脈を越える途中は、曇っていて寒くさえあったが、さらに数十キロ進むとやがて360度完全にさえぎるものがなくなり、雲までもなくなってきた。見渡す限りの荒野が、地平線まで続いている。真っ青な空が、俺の頭上に180度の弧(半球というべきか)を描いて広がっていた。
「うぉー、これだ、これ、これ!こいつを楽しむためにはるばるとやって来たんだ」
 俺は『この国』よりも『この大陸』に興味があったと言える。大海原とも思える大平原の中を、一本の道がほとんど分からないぐらいのアップダウンをしながらどこまでも続いている。時折大きなカーブを描いて曲がるとまたまっすぐ。この先何十キロ、何百キロとこんな道が続くのだろうか。10kmおきぐらいに『FLOOD WAY』と書かれた黄色い看板が立ててあるのが妙だった。
「何でここが、“洪水の道”なんだ?この広いところにどこから水が来るんだ。ここが沈むのか?」

 オーストラリアのストック・ルートを走った寺崎勉氏が、彼のバイク旅の本『どこだって野宿ライダー』の中でそれに遭遇したことを書いていた。雨季にあたる12月から3月ぐらいは、多量の雨が降り、小川を氾濫させるらしい。だが今この何も障害物が見えないところでは、いくら考えても想像できなかった。まっ、簡単に想像できないようなところが魅力でもあるか。急がないことにした。ゆっくり楽しもう。それがいい。
 太陽がだいぶ西の空に傾いた頃、リッチモンドというここらあたりでは大きな町(他に町が無いのだが)に着いた。ペトロを入れて燃費を出してみる。17km/リットル。スピードはずっと110~120km/hだったので、水などで荷物が20kg近くも増えた分、ちょっと悪くなったのだろう。

 今日はここ迄にしておこう。これからはしばらくテント生活を楽しみたい。ぐあいよく、このペトロスタンドでキャラバンパーク利用の申し込みが出来た。道路を挟んで100m位先にある。すでに7~8台のキャラバンカーが止まっていて、テーブルなんぞ出してコーヒーや夕食を囲んでくつろいでいる。もう退職した人達なんだろうか。圧倒的に老夫婦が多い。テントは俺だけらしい。
 バイクのスタンドを下ろすのとほとんど同時に夕日が沈んだ。宵闇が急速に訪れてくる。ちょっとうるさいかな、とも思ったが、バイクのエンジンをかけ、ライトをつけてテントを張った。コーヒーの湯を沸かしながら、パンをかじる。それにベーコンを輪切りにして炒めて、夕食にする。
 すごく大きな星空だ。『夜空に輝く南十字星』。昔、もう27~8年ほども前、少年画報という雑誌に連載されていた「ゼロ戦太郎」の正月号特別付録カルタの“よ”を思い出してしまった。

 テントの中で頭上の懐中電灯を頼りに書く日記は、目が疲れる。今朝買ったラジオからは、当たり前だが英語のディスクジョッキーが流れてきている。不思議に何の違和感もない。もっとも、曲を紹介してその曲が始まるまでは、ラジオが故障したのかと思うほど間が長かったり、途中から始まったりで、これがオーストラリアらしい、のかなとも思う。
 それにしても、あの直線と地平線には感激したなぁ。ここでこんなのだったら、もっと奥へ行ったらどうなるんだろう。やっぱり飽きることがくるんだろうか。山脈越えの時は、ジャケットの上にレインウェアを着込んで寒さをしのいだが、明日はどうなるのだろう。大自然への期待ばかりでゾクゾクする。今、テントの外はちょっと風があって冷え込みがすごい。こりゃ、明日の明け方はたまらんぞ。

リッチモンド・キャラバンパーク泊(3$)
本日の走行 Townsville ~ Richmond 511.4km

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*スペシャルベッド

2009年09月13日(日曜日)

★スペシャルベッド
7月31日 (火) 晴れ  6日目
「モーニン。昨夜はありがとう。もう出発するから」
 事務所に行き、お礼を言うと、奥さんのデニスが預けていた寝袋をわざと力いっぱい投げ返してくれた。
「気をつけてね」
 そう言って、ウィンクしてくれる。年をとってもこういう茶目っ気は感じがいいものだ。

 天気は申し分なし。ブルースHWYを更に北へ上る。今日の目的地はタウンズヴィル。700km以上はある。そこから西へ向かうと俺には未知の世界、アウトバックが広がっているのだ。
 最初の休憩は、ペトロの給油時。240km弱走って来た。シドニーでバイクを手に入れて2000kmが過ぎたので、オイル交換をすることにした。ここのスタンドで”カストロ”を2リットル買って、オイルを抜いてみる。もうドロドロだ。高速走行を続けているからかも知れないが、それにしてもこの汚れはただごとではない。あまりいいオイルを入れてないことは、購入時のゴタゴタで予測はしていたが、やはり自分の手、自分の目で早目に確認するに限る。これも自分の責任だ。
 1.5リットルほどでいっぱいになる。エンジンの中にもまだ0.5リットルぐらいは入っていると思うが、もう1ヵ所の抜き方が分からないので、つぎ足しみたいな格好になった。エンジンは命だから、当分はもっとこまめに交換して状態をチェックしなければならない。

 次の休憩地は、MACKAY(マッケイ。現地読みにするとマッカイか)。ちょっとしたシティーである。HWYからそれて市内に入っていくと、右手に大きなバイク屋があった。小綺麗で日本の店のイメージに近い。店前にバイクを止めた。
 今朝出発時から伸びが気になっていたチェーンを交換することにした。前後のスプロケットも同時に新品に交換する。
 2人の職人は実に気さくだった。年長の男に、ブレーキオイルのつぎ足しをやって欲しいと頼むと、彼は若いのに指示してオイルを持ってこさせた。スプリングをハードにして欲しいという要求にも快く応じてくれた。そしてこれらの作業は、ボスに内緒でやってくれ、作業報告書への記入はしなかった。
 ここで新たに購入したプラグレンチも含め、代金は合計199.5ドル。2万4千円。ちょっと高い気もするが、これで安心も買うことが出来たと思うことにしよう。
 タウンズヴィルまであと400km。3時に再スタートした。日が落ち始めると、道路のほとりの草むらがあちこちで燃えているのに出くわした。
「おお、これがあのブッシュファイアーか」
 大阪のオーストラリア政府観光局にあったツーリングの本で読んで以来、何度か目や耳にしたあの『やぶの火事』だった。人が火を付ける場合もあるが、時には自然発火もするらしい。瓶底がレンズになったり、前日の火事の熱が、午後から夕方になって地熱が上がり発火したりする。他にも原因があるらしいが、とにかく日本の常識では測れないことだ。中にはスペシャルな大火事になっているところがあるが、慣れているのか牛はその近くでのんびりしている。消防自動車が来るには遠すぎるし、第一来ても水などない。飛行機まで使って消化する程のものではないのだろう。ほったらかしのままだ。とてつもないスケールの焼き畑、といった感じか。ここでもオーストラリアの広さを感じた。
 道も長かった。とにかく長い。今日も120~140km/hで走ってきたが、走っても走っても同じ様な道が続いている。

 日が落ちてからかなり経って、やっとタウンズヴィルに到着。YHを探し宿泊の申込みをする。ワーデンはこう言った。
「満室になっている。だが、君にはすばらしいスペシャルベッドを用意する。ちょっと待っていてくれ」
 すばらしいスペシャルベッドという言葉が、頭の中で繰り返され、期待が大きくなっていった。
「特別室にでも泊めてくれるんだろうか」
 10分程待たされ、受け取ったキー番号の部屋を探し、荷物を運び込んだ。6畳ほどの部屋にベッドが3つ。だが、どれにも荷物が置いてある。部屋番号を確かめた。間違っていない。よく見ると入り口の右奥の床に、10cm程の厚さの青いマットが敷いてある。
「あのヤロー。なんて奴だ。料金もそのまま取りやがって」
 しかし、素晴らしいかどうかは価値観の違いだから別として、スペシャルには違いない。勝手に想像した俺が悪い。一本とられてしまった。
 やがて気持ちもおさまり、明日からのことを考え始める。このまま北のケアンズまで上り、また戻って西へ進むか、ここから西のアウトバックへ入って行くか、迷うところだ。

タウンズヴィルYH泊(10$)
本日の走行 Rockhampton ~ Townsville 740.8km

 

もう1冊の日記帳(2)

7月23日
 由佳が熱を出しています。今朝より38.5℃。加藤小児科へ連れていきました。未佳が「お母さん、寂しい?」って聞くんですよ。「うん寂しい。お父さんに会いたい」って言ったら、笑ってた。午後6時半あなたから国際電話。元気そうな声。すぐそこにいるような、近くで聞こえる声でした。

7月25日
 今日ナナハンに乗ったおじさんを見ました。あなたの事が思い出されました。

7月27日
 やっぱり寂しいのかな。2時頃から宏光がお父さんの部屋へいき、1時間ほどずーっと本を読んでいました。普段余り行かないのに、暑い部屋で本を読んでいる姿を見ると、貴方が恋しいのかな、なんて思い、胸が熱くなりました。

7月28日
 子供のスイミングも一段落。進級テストで未佳がワッペンをもらいました。嬉しそうにプールから出てきましたよ。やっと21級です。宏光は残念だったけど、まあ次回を期待して・・・。
 夕方、和歌山の実家に到着しました。

7月31日
 午後8時半待望の電話あり。
 気のせいか少し疲れているように思えました。大丈夫ですか。病気しないでくださいね。元気に帰って来てくださいね。
 電話のそばで「俺の事言わへんのか?」と宏光。お父さんに会いたいようです。毎朝8時から9時まで勉強し、ボール投げも頑張っています。昨夜喘息が出て、薬を飲ませました。

・・・次回「『この国』よりも『この大陸』」へ続きます