北米旅④ *家族をいかに…
2010年03月24日(水曜日)
★家族をいかに説得するか
今回は女房も子供達も、とりあえずカナダまでは一緒に行ける。その後彼らを残して、一人でツーリングに出かけることについては、
「えーっ、ずっと一緒じゃないの?自分だけちょっとずるいわぁー」
とはいうものの、あこがれのカナダへ自分たちも行けるとあって、そうきつくはない。
5年前のオーストラリアの時、長男の宏光は小2、長女の未佳は幼稚園年中、次女の由佳は1歳の誕生日を迎える前だった。その子供達も、もうそれぞれ中1、小4、幼稚園年長にまでなっていた。そういう状況もうまくいった要因のひとつだろう。
女房と子供達は三週間滞在し、俺は全部で48日間の予定。それで何とか了解が取れた。
両親も前回の時とはうって変わって、ほとんど反対らしい言葉はなかった。だが、それには理由がある。昨春、彼らは二人でカナダに行ったのだ。その計画を聞かされたとき、俺は唖然とした。いかに息子とその家族が住んでいるとはいえ、入国の手続きなどどうするのだ。外国語などほとんど解らない、田舎育ちの70歳に手が届こうとしている老夫婦が考えついたことにしては、無謀とも言えるものだった。オーストラリアに行くとき、猛反対された仕返しには、絶好のチャンスだ。俺の意地悪の部分が頭をもたげた。
「俺の時にはあれほど反対したのに、自分たちはどうなんだ……」
と。そんな個人的な思いもあり、長男として、俺はどうしようか迷った。
だが、そんな妨害はやめることにした。
「反対しようかと思うたけど、俺には行きたいという気持ちはようわかる。それにこの歳になるまで、自分たちの楽しみはおいといて、財産もないのに子供を3人育ててくれたんやし、子供らもそれぞれ家庭を持った。もう自分たちが楽しんでもええわな。心配には違いないけど、向こうに行けば孝司がおることやし、こっちでできる協力はする事にした。ガイドブックくらいなら、選ぶの手伝うで」
こうして気持ちよく送り出すことにした。反対するより、やりたいというならうまくできるように支援してやろう。結局両親は向こうに一ヵ月も滞在し、大満足をして帰ってきた。その後の考え方も、昔風のかたくなな決めつけをするものから、少し開かれたものになったようだ。俺は両親とのこんなやりとりを通して、相手を認める大切さを学んだ気がする。
蛇足だが、その時俺の頭に今回の旅のことはまだ無く、計算づくの支援ではなかった。
仕事の段取りは、日程の調整から始まった。俺の仕事はわりと多い。大阪と京都の二つの専門学校の非常勤講師、寺子屋塾・前原ゼミの教室が二つ、心理学セミナーの教室が二つ、不定期なものとしては心理カウンセリング、企業教育研修の講師、講演などがある。
専門学校は夏休み。カナダの休日の関係で、帰国が9月6日になり、後期の授業を一回ずつ休む迷惑をかけたが、わがままを許してもらった。もちろん翌7日からは登校することにして…。
塾はほとんど問題はなかった。初期の教え子達は既に大学生になり、俺のイメージする前向き思考と実力を備えた若者に成長していた。夏期講習も通常授業も彼らに任せることにして、俺は二つの塾のスケジュールを組み、教材を準備した。こういう作業は面倒だが、心はウキウキ状態で、つらいことなど微塵もなかった。
心理学セミナーや研修などは、この間は休みを許してもらうことにした。
今回の資金は、本の売上利益と豪州ツーリングの講演料とで準備はできていた。「本業での収入以外で」が俺の遊びのポリシーだ。豪州の時は家庭教師や占い、弁当屋でのアルバイトで稼いだと、こうして書きながら懐かしく思い出した。あの時は夜遅くまでと朝早くからで、眠かったけれど、充実していた時間だった。
家族の旅費や小遣いは積み立てと定期の解約でまかなった。特に子供達の旅費は、同意を得てお年玉定期を当てることにした。外国に行ける、飛行機に乗れる、ということで、反対はなし。とりあえずの作戦勝ちであった。
手続きの必要なものは。国際免許の申請と航空券の購入。資金はトラベラーズチェックに換えておく。カードは、VISAとMASTERの二枚所持。パスポートは俺も女房も期限切れ。共に申請が必要だ。特に女房は、新婚旅行でハワイに行ったとき以来なので当然だ。子供達のものは、帰国時の混乱と紛失などの事態を考慮して、彼女のパスポートにまとめることにした。
荷物の準備は、今回もオーストラリアの時と同様、前日と当日の朝、まるで一泊のツーリングに行くような気分でパッキングをした。持ち物もそれらの旅と変わらない。着替えの衣類とシュラフ(寝袋)、調理用具一式、それにテントと雨具くらいだ。荷物がかさばるため、スリーピングマットや建材用ブルーシート(土方シート=以降、ドカシー)はもちろん、今回はヘルメットまでも、現地で購入することにした。
家から関空まで約2時間。大阪から出発できるのでずいぶん楽だ。
忙しい仕事の合間を縫って、田野卓也・敬尹子(けいこ)夫妻が、空港までバイク用グローブを餞別にと届けていただいた。中野眞理子さんも、講演で近くに来たからと、Tシャツと手紙を持って、見送りに来ていただいた。
家族との涙の別れは、今回は必要ない。みんなで笑顔で出発ゲートに向かい、1995年7月21日(金)15時20分発アメリカ・デトロイト経由のノースウェスト機でトロントへと飛び立った。
……次回『ワクワクの旅立ち準備~トロントにて』に続きます