前原弘昌のバイク旅

*どういたしまして…

2009年09月07日(月曜日)

★どういたしまして(WELCOME)?
7月30日 (月) Rainy Day  5日目
 目が覚めて最初に聞いた音が雨音。しかもかなり激しい降り方だ。つい2日前に降ったばかりなのに、まいった。しばらく、ここで1日過ごすか、と思いながら荷物を整理したり地図を見ながら迷っていた。滞在の理由はいくらでもある。チューブやタイヤ、プラグレンチなど、この町では手に入れやすい物がいっぱいあるからだ。ラジオも欲しかったし。でもこんなことを続けていては、いつも言い訳ばかりの旅になってしまう。暖かい北へ向かうのに、まだこんな弱気ではこの旅はとうてい完成できない。
「よし行くぞ」
 と意を決したのは10時前。昨夜遅くまで話した群馬の小田裕明君(バスで3ヵ月かけて一周中の学生)と、京都の不動産会社から調査員として派遣されている西垣義嗣氏(26歳)に送られて雨の中へ飛び出した。レインウェアの初使用日だ。

 ルート1・ブルースHWYを一路北へ。目的地は、西垣氏から聞いた南回帰線の通る町、ロックハンプトン。650km北。この雨の中、ちょっと遠いが行けるところまで行くしかない。スリップに気をつけながらの走行が続く。
 220km程走った小さな町の店(食料品の売店とゲーム機やレンタルビデオがおいてある開拓時代のような喫茶店)で朝食兼昼食兼休憩をとることにする。2時間以上無休憩で来たので、手はすっかりかじかんでしまい、トイレでの用足しも思うように手が動かない有様だ。かろうじて間に合ったが、危ういとこだった。その店でクリームパン3個とハムを2.9ドルで買った。安い。
「ドリンクは?」
「いらない」
 そう答えると、濃い小麦色の肌をしたそのお姉さんは、ちょっと経ってから、
「これは私のおごり」
 とコーヒーを入れてくれた。ハムにもサンドイッチ用のパンを2組、バター付で出してくれた。俺は用足しが近くなるから飲みものを頼まなかっただけなのだが、このみすぼらしい格好を見て、気の毒に思ってくれたのに違いない。このやさしい勘違いと親切は、雨で窮屈になっていた俺の心をすっかり和ませてくれた。本当の理由など説明する必要はない。ありがたく情けを受けた。

 さらに260kmほど走って給油。19km/リットルのアベレージだ。タバコを1本吸い、また走り始める。ロックハンプトンまではあと170km。1時間半あれば着くだろう。この頃になって、ようやく雨の地域を通り過ぎたみたいだ。濡れた手袋も、いつの間にか乾いてしまっている。
 120~130km/hでの走行が続く。後の荷物は、日本から持ってきた強力ナイロン袋に入って守られているが、衣服は濡れてしまっている。レインウェアの首や裾から雨が入り込んでいたようだ。胸元のボタンをはずし、風を通して乾かしてやる。だが寒さは感じない。
「そうかー、ここは北半球で言えば、台湾あたりだからそう不思議でもないか」
 などと考えながら、ずいぶん上ってきたことを実感する。

 7時、ロックハンプトンに到着。XXXX(フォーエックス)というビールの看板が出ている店で、そのビールを2缶買う。ついでにYHの場所を聞いた。
 YHに着き、レセプション(受付)に行くと、ホステル・マネージャーが、
「どういたしまして」
 と日本語で挨拶する。
「ん?何やそれは?」
 サーファーズ・パラダイスでは、店の入り口に『どういたしまして』と日本語で書いてあると、昨日梅沢君達から聞いたが、ここでもか。どうもWELCOMEの訳し違いらしい。奇妙な日本語に思わずおせっかいをやきそうになりながらも、慣れない日本語で歓迎してくれた心遣いに、俺も笑顔で応え、
「こんばんはー」
 と日本語で返した。最初に案内された部屋は、ベッドの下段がすでに詰まっており、そのことを言うと、
「ちょっと待ってくれ」
 と言って食堂の隣のまだ誰も入っていない部屋へ通してくれた。疲れている時は、できればベッドの上段には寝たくない。マネージャー(ワーデンと言うらしいが)のヴィンスに感謝。濡れた衣類を脱ぎ、シャワーを浴びた。作務衣に着替え、くつろいだ気分になって、部屋に帰り素早くビールの栓を開ける。ここは酒を飲んでもいいのかどうか分からない。でも隠れて飲むビールの味も、又格別なものがある。

 庭に1人の日本人女性がいた。大津出身の山下喜代美さん。ゴールドコーストでツアーガイドをやりながら、今は旅をしているとのこと。今夜の長距離バスで南へ帰るとか。
「そういえばシドニーのYHで会った姫路の吉川じゅんちゃんもサーファーズ・パラダイスでツアーガイドをすると言っていたなぁ」
 ワーキングホリデービザで来る女性に人気が高い仕事らしい。話しているとヴィンスが1枚のコピーを持ってやってきた。
「これを読んでくれないか」
 見ると日本語だ。ゆっくりと読みながら、ついでに英訳も付け加えた。
「ん、どこかで読んだことが…」
 と思って俺の持ってきたガイドブックをめくると、
「あった、あった」
 JTBの『自遊自在』に載っていたのだった。
「あぁ、ここのことだったのか」
 来てみたいとは思っていたが、よくは覚えてなかったのだ。そうと分かれば、是非とも正しい日本語を覚えてもらわねばならない。人を迎えるときは、『ようこそ』だと自信を持って教えた。
 それを聞いて彼は何度も練習する。
「よこそ。よこそ」
「ちょっと違うなぁ。よ・う・こ・そ」
「よ・こ・そ」
「あーっと、じゃ『よ』を強く言ってみてよ」
「よーこそ」
「OK。エクサラント!」
 すっかりいい気持ちになってしまった。

 ヴィンスは車で山下さんをバスターミナルまで送ってきた後、俺を誘ってくれた。
「ヒロ、君や日本の話を聞かせてくれないか」
「もちろん、喜んで」
 奥さんとのプライベートの部屋(兼事務所)に俺を通してくれ、ビールを出してくれた。これはヴィクトリア・ビター(通称VB)で結構俺好みの味がするやつだ。今度は堂々と飲んでもいいのだ。さっきのことを思い出しておかしくなった。
 旅に出るまでのことやこれからのことを話した。
「君はブレイブ(勇者)だ」
 との言葉には、正直嬉しくもあり、またちょっと恥ずかしくもあった。お互いの家族のことを話している内、心理学や催眠のことに話がいく。
「ヒロ、それを体験することが出来るか?」
 ヴィンスがそう聞いてくる。彼も奥さんも肩をすくめながらも、興味津々といった顔付き。
「オーライ。じゃ簡単なものをやりましょう」
 ヴィンスに自然体で立ってもらい、俺はその横に彼のほうに向かって立った。
「静かに目を閉じて、体から力を抜いてリラックスして」
 そう言って、彼の左肩の上に両掌をかざし、ゆっくりと腕を伝って指先まで手を下ろした。彼の腕は3cm位も伸びて、左肩がずいぶん下がっている。真剣に見つめていたデニスの目が、大きく見開かれた。
「どういう感じがしますか?」
「すごく不思議な気持ちだ。すごくハイな気持ちになっている。君達がずいぶん下の方にいるようだ。まるで巨人になったような感じがする。すごく気持ちがいい」
 彼は目を閉じたまま、ゆっくりと思い付くままを言ってくれた。右側の肩も、同じことをやって感じを聞いた。さっきの感じがさらに進んだとのことだった。彼の感性の鋭さに恐れ入った。普段の自分をきちんと観察していないと、ここまでのフィードバックはそう簡単に出来るものではない。

 1時間ほどして、日記を書くからとその場を辞した。もちろん入るとき同様、出るときも日本式のお辞儀をする。それをヴィンスは、たいそう気に入ってくれた。
 ヴィンスは、ガイドブックに書いてあった通り、大きな声で挨拶してくれるのが、本当に印象に残った。ハッピーな夜をありがとう。雨中走行は楽ではなかったが、いい出会いがあって、ほのぼのとする思い出を作ることが出来た。やってきた甲斐があった。空には一面の星、星、星。こんなに大きく沢山見えるのは、やはり空気が澄んでいるせいなのか。2年前、アメリカ西海岸の心理学研究所・エサレンにいる時も、太平洋の水平線の彼方まで続く銀河と超雄大な星空が眺められたが、ここはそれに勝るとも劣らない。日本で冬に見えるオリオン座は、オーストラリアでも冬の星座だった。三ツ星がまばゆくまたたいている。

ロックハンプトンYH泊(9$)
本日の走行 Brisbane ~ Rockhampton 656.7km

・・・次回「スペシャルベッド」へ続きます

*誰だって、美しいものが…

2009年08月31日(月曜日)

★ 誰だって、美しいものが見たい
7月29日 (日) 快晴  4日目
 ラッキーなことに夜明け前に目が覚めた。すぐにバイクで岬の灯台に向かう。
行き止まりのフェンスをくぐり抜け200mほど歩いて坂道を上った。ここがオーストラリア本土最東端。
季節や緯度、海抜などにとらわれず単純に考えれば、1番早く朝日を拝める場所ということになる。誰もいない。
少しして、赤い帽子を被ったひとりの男性がカメラを3~4台持って上がってきた。年の頃は50ぐらいか。
「やぁ!」
 お互いにそう言ってカメラの準備をしながら東を見続ける。
「あなたはプロのカメラマンなんですか?」
 俺が声を掛けた。
「ちょっと違う。私は写真家だ。メルボルンからやって来ている」
「こんなに遠く離れたところまで?」
「1~2週間ずつ位の日程で方々に出かけて写真を撮るんだ。あんたがこんな遠い所までやって来ているように。あんたは日本人?」
「そうです」
「美しいものが見たいという気持ちは誰でも同じだよ」
 デニス・ライアン氏はそう言って、メルボルンへ来たら連絡しろと、彼の自宅と仕事場の電話番号を書いてくれた。

 日が昇ってきた。あいにく東の海上には雲がかかったままだった。雲の切れ間から光が線になって延びる。
自然に文句を言っても始まらないが、せっかくの場所だからもっと心に残るようなシーンが欲しかった。
彼はこの日の出をどんなふうに表現するのだろう。また今どんな気持ちでファインダーを覗いているのだろうか。カメラを取り替えては、シャッターを押し続けているこのおじちゃんのことがずいぶん気になった。

 YHに戻り朝食を済ませた後、針金を巻いてバックミラーの付け根を固定させた。最初からグラグラしていて気になっていたのだ。これでずいぶん使い易くなった。ちょっとしたことだが、いらないことに気を遣うのはあれで結構危ないものだ。

 レンガ造りの低い家並みのバイロン・ベイの町中を通って北へ向かった。30分くらい走ってボーダー(州境)を通過。ニュー・サウス・ウェールズ州からクィーンズランド州へ入った。
 ここから北へゴールド・コーストと呼ばれる美しい海岸線が30数kmに渡って続く、と日本で読んだガイドブックに書いてあった。
能登半島に千里浜という10km程の砂浜がある。そこはバイクはもちろん、大型バスまで走れるほど砂が固い。行く度に快感が得られた所だ。ここはそれのもっと長いものだろうと結構期待していたのだが、残念、砂浜を走るような事はなかった。

 カランビン野鳥保護区へしばし立ち寄った後、砂浜や波のきれいなところをビデオやカメラで撮りながらゆっくり進む。
 海岸線はゆるく大きな弧を描いて右にそれていき、やがて先端は水平線とつながっていく。そのはるか彼方の海上に、多くの白い高層ビルが浮かんで見える。
「あれがサーファーズ・パラダイスか」
 蜃気楼みたいでなかなか幻想的な眺めだ。

 大きなホテルや店が乱立しているゴールド・コーストの中心地、サーファーズ・パラダイスで信号待ちをしていると、前方で2人組が手を振っている。が、女性ではない。若い男達はシドニーのヘレフォードYHで一緒だった、千葉から来た梅沢岳(たかし)氏と田中伸幸氏のコンビだった。
「おー、ここに来てたの」
「やっぱり前原さんだった。日の丸が付いたヘルメットでそうじゃないかと思った」
 再会に歓声をあげ、さっそくビールを買ってきて砂浜で祝杯をあげた。オーストラリアで1番とも言えるこの観光地でライディングウェアにブーツ、ヘルメットを持っての砂浜入りは少々気が引けたが、やがて上半身裸になっての撮影会となっていき、わが魔性を抑えることは出来なかった。
 すっかりいい気持ちになったが、いつまでもここで観光客している訳にはいかない。

 彼らと別れてまた北へ向かった。俺は長い間の習慣で午後3時を過ぎた頃になると、がぜん元気が出てくる。どこまでも走れる感じがするのだが、ブリスベーンまで1時間ほど走り、HWY(ハイウェイ)を下りた。

 大都市ブリスベーンの市街地は日曜日のためか車も人通りも少ない。きれいなシティーだ。
こんなにきれいなビルが立ち並んでいるのは、あまり見たことがない。ところが、町の真ん中あたりに大きな空き地があって、車がパラパラと駐車してあったりして。分からない所だ。
 先へ進もうとHWYに戻ったが、空にはあやしげな雲。引き返してブリスベーン・シティーYHに投宿。シドニーを出て今日で4日。通算1100km。早くはないが、まぁ俺のペースとしては、最初はこんなものだろう。マシンのクセや色々な問題の箇所も、この間徐々に分かってきた。今日はブレーキがキイキイ鳴るのが気になった。

 YH駐車場で前後のブレーキをはずしてチェック。リアは残りが2mmほどか。近々替えた方がいいだろう。前はOKだ。ただ両方ともブレーキオイルが少ない。バッテリーはOK。振動で少しずれたガソリンタンクを、動かないようにタオルをねじ込んでフィットさせた。オイルフィルターカバーのネジ1本とガムテープ1個がどこかにまぎれこんでしまった。困ったメカニックもいたもんだ。まぁいいか。

ブリスベーン・シティーYH泊(12$)
本日の走行 ByronBay ~ Brisbane 250.8km

・・・次回「どういたしまして(WELCOME)?」へ続きます

*宿は予約なしに…

2009年08月24日(月曜日)

★ 宿は予約なしに限る
7月28日 (土) 快晴 7℃~18℃ 風冷たし  3日目

 夜半トイレに起きた。雨は上がっている。空にはもう星が出ていた。このまま晴れてくれれば、明日は今日の分まで走れそうだ。

 朝、7時半起床。快晴だ。昨日せっかくレインウェアを買ったのに、と贅沢なことを思いつつ、この絶好のツーリング日和に頬も緩む。
 今日の目的地はオーストラリア本土最東端の町、バイロン・ベイ。昨日1日雨にうたれていた愛車、XT600のエンジンをかける。キック1発!といきたいところだが、一体何回足を踏み下ろしたことだろう。全体重をのせて一気に踏み抜くタイミングがまだつかみきれない。
「セルが付いていれば、ボタンを押すだけで掛かるのに。くそー、しんどい。たまらん。腰が抜けそうじゃ。このままかからんのとちがうかー」
 わがままで軟弱な思いが顔を出す。しかし、泣き言を言ったからといって、機械が言う事を聞いてくれる訳ではない。ここは地道に1回1回キックを続ける以外にない。しかも気を抜いてやってはいけない。このはねかえりで足の骨を折った人がいたと聞いた。

 日本での愛車XLR250BAJA(バハ)はこれほどの体力はいらなかったが、1発でかけられるようになるにはやはり日数がかかった。XTもキック1発でエンジンを目覚めさせられなければ、自分のものになったとはいえない。この旅中に何とかなるのだろうか、いや何とかしたいものだ。やっとかかった時は、足腰はもうヘナヘナ。しかし現金なものでエンジンがかかれば、心は空と同じくすっかり晴れ渡った。
 ニューキャッスルを出て少し行くと、道は右と左の2又に分かれていて、案内板にはどちらにも知らない地名が書かれていた。右へ行くと真っ直ぐ海へ向かうようだったので、とりあえず左へとる。
「誰かに会ったら聞けばいいだろう」
 と、安易な気持ちでいた。とんでもなかった。道を歩いている人間など、おりはしない。家も道からずい分離れたところにポツンと1軒か2軒あるだけ。信号が無いから車は止まりそうにない。皆100km/hほどのスピードで飛ばしている。そのうち道は大きく左へ曲がり、益々内陸に入って行くようになった。

 5kmほど走って、中央分離帯の代わりをしている幅の広い草地を横切り、反対車線で引き返した。やっぱりまちがっていた。
「こりゃ、早いとこ詳細な地図を手に入れなければ」
 全く大ざっぱなことで、俺は1枚ものの全土の地図しか持っていなかった。
 日本のJAFにあたるNRMAを探しながら北上を続ける。1時間ほど走った所で運良くその標示があった。『NRMA 1km ON LEFT』そこでJAFの会員証を提示して、一周用に必要な全ての地図と、故障した時のための各州の電話リストなど貰う。お金はいらない。どのオージー(オーストラリア人)も気軽で親切だ。明るい。

 ニューキャッスルでは300kmぐらいだろうと思っていた距離が、何とムチャクチャあるではないか。地図を見てびっくりした。標識にも『BRISBANE 599』とか出て来始めた。その近くまで上がって行かなければならない。この国の標識は、キロ表示なので助かる。おまけにこれも日本と同じ左側通行。舗装の程度は良くないが、とにかく走り易い。『→95』(右コーナー、適正スピード時速95km、だろう)などザラにある。路面は粗いアスファルトで、こういう所は120km/hでも余裕でクリアできるが、路上には所々穴があり、気は抜けない。はまるとかなり痛い目に逢うのはまちがいない。

 460kmほど走ったところで給油した。オーストラリアはイギリス圏なので、ガソリンとは言わずペトロールと言うが、そのペトロ・ステーションはほとんどセルフサービスになっている。最初はとまどったが、慣れるとどうということはない。26リットル。出会うオージー達は、たいていこの大きなタンクに興味を示し話しかけて来る。
「いいバイクだ。何リッター入るんだ?」
「32か3だ。少なくとも550kmは走れる」
「そいつぁーすごい。どこまで行く気なんだ?」
 俺は黒のヘルメットにルートを書き込んだオーストラリアの地図を貼っていた。白いシールだから結構目立つ。それを指しながら、
「エアーズロックまで行き、最終的にはオーストラリア一周したいと思っている」
「このビッグタンク、そしてこのバイクなら十分大丈夫だ。グッ、ラック」
 こうなれば悪い気はしない。最初は特別どうとは思わなかったが、この広大な国では、その価値は測り知れないものがあるのだろう。少しずつこの巨体に相棒としての頼もしさが実感出来てきた。

 グレイトディヴァイディング山脈、と思われる遠い西の山に日が沈んで、約1時間、バイロン・ベイのYHに到着。予約なしの飛び込みだ。
 俺はツーリングのときには、宿の予約はしないことにしている。過去に苦い想い出があるから。
 日本一周時、北海道でのことだ。札幌のYHが気に入った俺は、ぐるっと廻って再び札幌に近づいた日の朝、そこに予約電話を入れた。
「先日の前原です。今夜お願いします」
 若いヘルパーさんは喜んでくれた。ところがその直後、3日前まで一緒に走っていた愛知の学生さんと偶然出会った。再会を喜び、またつるんで走る内に、『江別市』の看板が目に入る。1週間前に北見で会った、赤いCB750の若い夫婦の住まいがある所だ。もう一度会って話したいものだと電話すると、是非寄っていけ、と言うことになり、更には泊めて貰うことになった。YHには悪いと思いながらも断わりの電話を入れた。
「じゃ、明日は泊まって下さい」
 との言葉に、ちょっと押し付けがましいなという感じがしたが、
「そう出来るようにするつもりです」
 と思わずそう答えてしまった。翌日、札幌には午前中に着いた。札幌見物は2週間前に終えている。それに街には余り興味はない。時間は限られているし、行きたい所もまだ沢山あった。俺達は西へ走ることにして、早いほうが良いと思い再び断わりの電話を入れた。
「御迷惑を掛けて申し訳ありません。泊まれそうにないので、キャンセルさせてください」
「困りますよー。食事の材料だってもう買ったんだから。いい加減な事しないでください」
 あの若いヘルパーが冷たくこう言い、電話を切った。心にグサッと突き刺さる言葉だった。
 俺は教訓としてそれを以後の旅で生かしてきた。ツーリング中はどんな楽しいハプニングがいつ起こるか分からない。宿を決めてしまって、動きづらい状態にはもうしないでおこう。飛び込みで駄目ならまた他の手を考えりゃいい。そういう旅の方がドラマチックだし、俺には合っている。

 何事もなくチェックインを済ませ、近くのグローサリーにパンを買いに走った。昼は昨夜の残りのゆで卵2コとトマト2コで、夜はさらに残り2コのゆで卵とトマト1コ、みかん1コ、食パン4~5枚。店の前のベンチに座って食べた。パンは1.2ドル。今日は節約の日だ。
 YHに帰り、シャワーをあびながら、隣室にある洗濯機に下着やTシャツを放りこんでコインを入れた。裏庭で干しているとオーナーがでてきたので南十字星を教えてもらう。日本では俺はその位置も形もはっきりとは知らなかったのだが、この名はなぜかロマンを感じさせるものがあった。
 それにしても657kmは尻が痛い。椅子へ座るときでも、思わず背筋を伸ばすような格好になる。

ケープ・バイロン・ロッジYH泊(9$)
本日の走行 Newcastle ~ Byron Bay 657.2km

・・・次回「誰だって、美しいものが見たい」へ続きます

 

*冷たい雨の足止め

2009年08月21日(金曜日)

★ 冷たい雨の足止め
7月27日 (金) 大雨 10℃  2日目
 朝方からキャラバンの屋根を雨がたたき始める。寒い。ウェストバッグに付けて日本から持って行った温度計を見る。10℃が氷点下にも感じられる。長袖の3枚重ね着。まだ寒いのでジャケットまではおって再び寝袋にくるまった。

 それでも10時前頃まではレインウェアを買って出発しようと思っていたが、止む気配もなく、冷たく寒いのでもう1泊ここに留まることにした。走り始めて2日目。まだ200kmほどしか進んでないのに、もう休日にするのは自分の性格からはずいぶん勇気のいることだった。しかし無理はよそう。先は長い。走れる時に走ったらいいんだ。無事に帰ってこそ冒険の意味があることを心に刻んでおかなければ、全ての行動が無謀になってしまう。

 外では管理人のケビンが合羽を着て、作業をしていた。
「傘を貸してくれる?」
「いいとも」
 折りたたみ傘を持ち出してきてくれた。ところがこれがどうやっても開かない。
「どうやるんだ?」
「こうやればいい」
 と、三段式になっている傘の2ヵ所の関節部を手際よく伸ばし、彼はにっこり笑って開いてくれた。
「なるほど。しかし珍しいタイプだな。オーストラリアでは全てこうなのか?」
「いや、それは日本製だ」
 見ると、確かに『MADE IN JAPAN』の文字。所変われば、品変わる、か。それとも知らなかったのは、俺だけだったのか。仕事を手伝っていた息子のクレイグに郵便局、雨具屋、銀行を聞いて歩いて出掛けた。

 雨の日の散歩も悪くない。バイクのときには素通りしてしまうものが、新鮮な感じで目に映ってくる。木造、前庭付の家がほとんど。それぞれが違った形をしていて、手入れもいい。『FOR SALE』とか『4 SALE』と書かれた手製の看板をのせて、売りに出されている車やバイク。外観だけだが、良いものもあれば、結構イッているのもある。歩道のデコボコで出来た水溜りをよけながら歩くのも、考えてみれば久しぶりだ。

 10分程で町の中心に着いた。昨夜と午前中書いたハガキを投函する。銀行などでもそうだが、みんな実に気長く順番を待っている。『郷に入っては郷に従え』で、俺も調子を合わせてのんびりと待った。
 レインウェアは大きめのやつを選んだ。が、上下で71.9ドル。使用日数を考え合わせると今の俺には高い。安いのを見せてくれと言うと、もうすぐに破れそうなのを出して来る。えーい、交渉だ。ボスにディスカウントを頼む。結局10%OFF、64ドルで交渉成立。これでもし明日が雨でも出発出来る。でも日本から持って来るのを忘れたり、置いて来たりした為、その出費はずいぶんかさむ。
 バンの中の温度は今朝と変わらず10℃なので、ガスレンジの火を3つともつけっ放しにした。10分ほどで20℃まで上がってきたので、火をやや弱く調節する。
 ここで得た情報も加えて、これからの計画を練り直しながら時間を過ごす。外出で濡れたジャケットも天井から吊るしてほとんど乾いた。あとで防水スプレーをしておこう。

 身体が冷たく感じるのはもう4日ほど着たままになっているTシャツのためか。垢がしみ込んで保温の役目を果たしていないのだろう。もう20年以上も前に死んでしまったが、俺がまだ小学生だった頃、おばあちゃんがそう教えてくれた。1番下のTシャツと2番目のトレーナーの入れ替え戦をやった。暖か味が全く違う。これは着替えをあまり持っていない時の俺の奥の手だ。見た目の汚れより、実用重視のこのやり方を俺は結構気に入っている。

 外は相変わらず強い雨。昼間買った新聞の天気予報では、各地に洪水注意報が出ていた。しかし、明日は雨でもとにかく北を目指すぞ。

ニューキャッスル・キャラバンパーク 2泊目(27$)
本日の走行 0km

・・・次回「宿は予約なしに限る」へ続きます

■ 一周への出発 ■

2009年08月19日(水曜日)

一周への出発

★ 寒さと緊張の第一夜
7月26日 (木) 晴のち曇  1日目
荷物を山ほど積んで正午、3日間基地にしたヘレフォード・YHをスタートした。昨日とはうって変わり、良い天気だ。

 コリンとピーターが経営するヘルメットショップに出発の挨拶をしに行く。市内で日用雑貨品を買い揃えて北へ向かった。

 ハーバーブリッジを渡って郊外に出る時、振り返って見た。世界三大美港のひとつに数えられるというシドニー港と、その向こうに市街が広がって見えた。なかなかの景観だ。1月半後にまたな、と心で思いアクセルを開けた。

 ところで俺は当初、南から西へ時計回りに一周することにしていた。しかし、シドニー滞在中に入ってくる情報では、南部のメルボルンあたりは、かなり寒さが厳しいとのこと。それで、急きょ左回りにすることにして、暖かい北に向かって進むことにしたのだ。

 シドニーを出て、1号線・パシフィックハイウェイを快適な気分で走り始める。オーストラリアもアメリカもこんな片側2~3車線、100km/h以上で走れるような幹線道路がタダ。料金を気にせず走り放題だ。最初はもううれしくて鼻歌まじりだったが、いまいちノッてこない。思っていたより寒さがこたえる。110km/hで巡航していたが、寒さのためにすぐ疲れて眠くなってしまう。このハイウェイは車も多く、皆ビュンビュン飛ばしているが、幸いな事に日本の高速道みたいに塀はない。バイクを止めて、道路脇の草むらに寝転がった。が、目を閉じても寒くて寝られない。しばらく休んでまた走り始めるが、今度は曇ってきた空が気になる。降られると困る。レインウェアもドカシー(建築用の土方シート)も持っていない。
「どこかで買わなけりゃなるまい」

 オーストラリアは雨が少ない、といっても全土がそういうわけではないのだ。

 187km走って小さな町のガソリンスタンドに立ち寄った。ここで給油。シドニーで満タンにしてから2度目だ。10.7リットル。電卓をたたいて燃費を調べてみた。この電卓、円・ドル換算を始めこのツーリングでは色々と世話になりそうだ。17.5km/リットル。600ccだし、この荷物からすればこんなものか。このタンクは32~33リットル入りだから、ざっと見積もっても無給油で500km以上は走れる。予備のタンクは持ってないが、コリンが言っていたように、これならいくらオーストラリアとはいえ、余程の内陸にさまよい込まない限りたぶん大丈夫だろう。長距離ツーリングをするには、この燃費はどうしても知っておかねばならない重要な事なのだった。

 夕暮れが近付いてきた。ツーリングの第一夜はいつものことだが、ちょっとだけ緊張してしまう。今夜の宿は、テントでは寒さと雨が心配で軟弱な俺はモーテルを探した。近くにYHはない。だがモーテルはシングルが57ドルとのこと。これはちょっとイタイのでキャラバンパークの場所を聞くと、そのモーテルのオーナー夫妻は丁寧に教えてくれた。

 約10km離れたニューキャッスル・キャラバンパークが第一夜の宿となった。この国には車で旅をする人達のために、ガソリンスタンドがある町には、必ずと言っていいほどキャラバンパークがあった。もちろんバイクだってOK。テントを張ることも、車で寝ることも、両方ともない人はそこに備え付けてあるオンサイト・バンを利用することもできる。オンサイト・バンと言うのは、冷蔵庫付のキッチン、ベッド、テーブルなどが備え付けてあるエンジンが付いてないキャンピングカーのこと。どんな田舎でも標準設備として、水道、温水シャワー、水洗トイレ、電源はあったし、コインで使える洗濯機や、乾燥機があるところもずいぶん多かった。どこでもほとんど芝生が敷いてあり、安くてこれらの設備が使え、快適さもあって俺はこのツーリングではずいぶん利用した。

 空はますます雲が厚くなっており、雨になるのは間違いない。躊躇せずにオンサイト・バンに決めた。管理人と値段の交渉をしていると大学生の息子が帰ってきた。彼、クレイグが、大学で地理の時間に日本について習っている、と言ったことから話が一気に進み、ダブルサイズのバン、32ドルが27ドルになった。昨夜までのYHが1泊13ドルだったので、この27ドルはまだ高いのにちがいなかったが、もう決めた。腹も減ったし、ずいぶん疲れた。

 荷物を積んだまま、来た道を少し戻った所にあるスーパーに夕食の材料を買いに走った。時刻はもう7時半になっている。ビールとステーキ、それにオレンジやトマトなどの果物と野菜、米も買った。どれもこれも安くて、もううれしくなってしまう。シドニーで高橋氏から聞いていた通り、食いものは楽しめそうだ。

 バンの中でビールを飲みながら調理する。クレイグを呼んで、ガスグリルの使い方と肉の焼き加減を教えてもらった。ステーキは表面がちょっと白っぽく変わったらもうOKとのこと。ほほう、そんなもんでいいのか。靴底より大きなステーキ。中は赤いまま。これから毎日こんな生活かと思うだけでゾクゾクする。

ニューキャッスル・キャラバンパーク
     オンサイド・バン泊(27$)
本日の走行 Sydney ~ Newcastle 195.8km

… 次回「冷たい雨の足止め」へ続きます