前原弘昌のバイク旅

*宿は予約なしに…

★ 宿は予約なしに限る
7月28日 (土) 快晴 7℃~18℃ 風冷たし  3日目

 夜半トイレに起きた。雨は上がっている。空にはもう星が出ていた。このまま晴れてくれれば、明日は今日の分まで走れそうだ。

 朝、7時半起床。快晴だ。昨日せっかくレインウェアを買ったのに、と贅沢なことを思いつつ、この絶好のツーリング日和に頬も緩む。
 今日の目的地はオーストラリア本土最東端の町、バイロン・ベイ。昨日1日雨にうたれていた愛車、XT600のエンジンをかける。キック1発!といきたいところだが、一体何回足を踏み下ろしたことだろう。全体重をのせて一気に踏み抜くタイミングがまだつかみきれない。
「セルが付いていれば、ボタンを押すだけで掛かるのに。くそー、しんどい。たまらん。腰が抜けそうじゃ。このままかからんのとちがうかー」
 わがままで軟弱な思いが顔を出す。しかし、泣き言を言ったからといって、機械が言う事を聞いてくれる訳ではない。ここは地道に1回1回キックを続ける以外にない。しかも気を抜いてやってはいけない。このはねかえりで足の骨を折った人がいたと聞いた。

 日本での愛車XLR250BAJA(バハ)はこれほどの体力はいらなかったが、1発でかけられるようになるにはやはり日数がかかった。XTもキック1発でエンジンを目覚めさせられなければ、自分のものになったとはいえない。この旅中に何とかなるのだろうか、いや何とかしたいものだ。やっとかかった時は、足腰はもうヘナヘナ。しかし現金なものでエンジンがかかれば、心は空と同じくすっかり晴れ渡った。
 ニューキャッスルを出て少し行くと、道は右と左の2又に分かれていて、案内板にはどちらにも知らない地名が書かれていた。右へ行くと真っ直ぐ海へ向かうようだったので、とりあえず左へとる。
「誰かに会ったら聞けばいいだろう」
 と、安易な気持ちでいた。とんでもなかった。道を歩いている人間など、おりはしない。家も道からずい分離れたところにポツンと1軒か2軒あるだけ。信号が無いから車は止まりそうにない。皆100km/hほどのスピードで飛ばしている。そのうち道は大きく左へ曲がり、益々内陸に入って行くようになった。

 5kmほど走って、中央分離帯の代わりをしている幅の広い草地を横切り、反対車線で引き返した。やっぱりまちがっていた。
「こりゃ、早いとこ詳細な地図を手に入れなければ」
 全く大ざっぱなことで、俺は1枚ものの全土の地図しか持っていなかった。
 日本のJAFにあたるNRMAを探しながら北上を続ける。1時間ほど走った所で運良くその標示があった。『NRMA 1km ON LEFT』そこでJAFの会員証を提示して、一周用に必要な全ての地図と、故障した時のための各州の電話リストなど貰う。お金はいらない。どのオージー(オーストラリア人)も気軽で親切だ。明るい。

 ニューキャッスルでは300kmぐらいだろうと思っていた距離が、何とムチャクチャあるではないか。地図を見てびっくりした。標識にも『BRISBANE 599』とか出て来始めた。その近くまで上がって行かなければならない。この国の標識は、キロ表示なので助かる。おまけにこれも日本と同じ左側通行。舗装の程度は良くないが、とにかく走り易い。『→95』(右コーナー、適正スピード時速95km、だろう)などザラにある。路面は粗いアスファルトで、こういう所は120km/hでも余裕でクリアできるが、路上には所々穴があり、気は抜けない。はまるとかなり痛い目に逢うのはまちがいない。

 460kmほど走ったところで給油した。オーストラリアはイギリス圏なので、ガソリンとは言わずペトロールと言うが、そのペトロ・ステーションはほとんどセルフサービスになっている。最初はとまどったが、慣れるとどうということはない。26リットル。出会うオージー達は、たいていこの大きなタンクに興味を示し話しかけて来る。
「いいバイクだ。何リッター入るんだ?」
「32か3だ。少なくとも550kmは走れる」
「そいつぁーすごい。どこまで行く気なんだ?」
 俺は黒のヘルメットにルートを書き込んだオーストラリアの地図を貼っていた。白いシールだから結構目立つ。それを指しながら、
「エアーズロックまで行き、最終的にはオーストラリア一周したいと思っている」
「このビッグタンク、そしてこのバイクなら十分大丈夫だ。グッ、ラック」
 こうなれば悪い気はしない。最初は特別どうとは思わなかったが、この広大な国では、その価値は測り知れないものがあるのだろう。少しずつこの巨体に相棒としての頼もしさが実感出来てきた。

 グレイトディヴァイディング山脈、と思われる遠い西の山に日が沈んで、約1時間、バイロン・ベイのYHに到着。予約なしの飛び込みだ。
 俺はツーリングのときには、宿の予約はしないことにしている。過去に苦い想い出があるから。
 日本一周時、北海道でのことだ。札幌のYHが気に入った俺は、ぐるっと廻って再び札幌に近づいた日の朝、そこに予約電話を入れた。
「先日の前原です。今夜お願いします」
 若いヘルパーさんは喜んでくれた。ところがその直後、3日前まで一緒に走っていた愛知の学生さんと偶然出会った。再会を喜び、またつるんで走る内に、『江別市』の看板が目に入る。1週間前に北見で会った、赤いCB750の若い夫婦の住まいがある所だ。もう一度会って話したいものだと電話すると、是非寄っていけ、と言うことになり、更には泊めて貰うことになった。YHには悪いと思いながらも断わりの電話を入れた。
「じゃ、明日は泊まって下さい」
 との言葉に、ちょっと押し付けがましいなという感じがしたが、
「そう出来るようにするつもりです」
 と思わずそう答えてしまった。翌日、札幌には午前中に着いた。札幌見物は2週間前に終えている。それに街には余り興味はない。時間は限られているし、行きたい所もまだ沢山あった。俺達は西へ走ることにして、早いほうが良いと思い再び断わりの電話を入れた。
「御迷惑を掛けて申し訳ありません。泊まれそうにないので、キャンセルさせてください」
「困りますよー。食事の材料だってもう買ったんだから。いい加減な事しないでください」
 あの若いヘルパーが冷たくこう言い、電話を切った。心にグサッと突き刺さる言葉だった。
 俺は教訓としてそれを以後の旅で生かしてきた。ツーリング中はどんな楽しいハプニングがいつ起こるか分からない。宿を決めてしまって、動きづらい状態にはもうしないでおこう。飛び込みで駄目ならまた他の手を考えりゃいい。そういう旅の方がドラマチックだし、俺には合っている。

 何事もなくチェックインを済ませ、近くのグローサリーにパンを買いに走った。昼は昨夜の残りのゆで卵2コとトマト2コで、夜はさらに残り2コのゆで卵とトマト1コ、みかん1コ、食パン4~5枚。店の前のベンチに座って食べた。パンは1.2ドル。今日は節約の日だ。
 YHに帰り、シャワーをあびながら、隣室にある洗濯機に下着やTシャツを放りこんでコインを入れた。裏庭で干しているとオーナーがでてきたので南十字星を教えてもらう。日本では俺はその位置も形もはっきりとは知らなかったのだが、この名はなぜかロマンを感じさせるものがあった。
 それにしても657kmは尻が痛い。椅子へ座るときでも、思わず背筋を伸ばすような格好になる。

ケープ・バイロン・ロッジYH泊(9$)
本日の走行 Newcastle ~ Byron Bay 657.2km

・・・次回「誰だって、美しいものが見たい」へ続きます

 

*冷たい雨の足止め

★ 冷たい雨の足止め
7月27日 (金) 大雨 10℃  2日目
 朝方からキャラバンの屋根を雨がたたき始める。寒い。ウェストバッグに付けて日本から持って行った温度計を見る。10℃が氷点下にも感じられる。長袖の3枚重ね着。まだ寒いのでジャケットまではおって再び寝袋にくるまった。

 それでも10時前頃まではレインウェアを買って出発しようと思っていたが、止む気配もなく、冷たく寒いのでもう1泊ここに留まることにした。走り始めて2日目。まだ200kmほどしか進んでないのに、もう休日にするのは自分の性格からはずいぶん勇気のいることだった。しかし無理はよそう。先は長い。走れる時に走ったらいいんだ。無事に帰ってこそ冒険の意味があることを心に刻んでおかなければ、全ての行動が無謀になってしまう。

 外では管理人のケビンが合羽を着て、作業をしていた。
「傘を貸してくれる?」
「いいとも」
 折りたたみ傘を持ち出してきてくれた。ところがこれがどうやっても開かない。
「どうやるんだ?」
「こうやればいい」
 と、三段式になっている傘の2ヵ所の関節部を手際よく伸ばし、彼はにっこり笑って開いてくれた。
「なるほど。しかし珍しいタイプだな。オーストラリアでは全てこうなのか?」
「いや、それは日本製だ」
 見ると、確かに『MADE IN JAPAN』の文字。所変われば、品変わる、か。それとも知らなかったのは、俺だけだったのか。仕事を手伝っていた息子のクレイグに郵便局、雨具屋、銀行を聞いて歩いて出掛けた。

 雨の日の散歩も悪くない。バイクのときには素通りしてしまうものが、新鮮な感じで目に映ってくる。木造、前庭付の家がほとんど。それぞれが違った形をしていて、手入れもいい。『FOR SALE』とか『4 SALE』と書かれた手製の看板をのせて、売りに出されている車やバイク。外観だけだが、良いものもあれば、結構イッているのもある。歩道のデコボコで出来た水溜りをよけながら歩くのも、考えてみれば久しぶりだ。

 10分程で町の中心に着いた。昨夜と午前中書いたハガキを投函する。銀行などでもそうだが、みんな実に気長く順番を待っている。『郷に入っては郷に従え』で、俺も調子を合わせてのんびりと待った。
 レインウェアは大きめのやつを選んだ。が、上下で71.9ドル。使用日数を考え合わせると今の俺には高い。安いのを見せてくれと言うと、もうすぐに破れそうなのを出して来る。えーい、交渉だ。ボスにディスカウントを頼む。結局10%OFF、64ドルで交渉成立。これでもし明日が雨でも出発出来る。でも日本から持って来るのを忘れたり、置いて来たりした為、その出費はずいぶんかさむ。
 バンの中の温度は今朝と変わらず10℃なので、ガスレンジの火を3つともつけっ放しにした。10分ほどで20℃まで上がってきたので、火をやや弱く調節する。
 ここで得た情報も加えて、これからの計画を練り直しながら時間を過ごす。外出で濡れたジャケットも天井から吊るしてほとんど乾いた。あとで防水スプレーをしておこう。

 身体が冷たく感じるのはもう4日ほど着たままになっているTシャツのためか。垢がしみ込んで保温の役目を果たしていないのだろう。もう20年以上も前に死んでしまったが、俺がまだ小学生だった頃、おばあちゃんがそう教えてくれた。1番下のTシャツと2番目のトレーナーの入れ替え戦をやった。暖か味が全く違う。これは着替えをあまり持っていない時の俺の奥の手だ。見た目の汚れより、実用重視のこのやり方を俺は結構気に入っている。

 外は相変わらず強い雨。昼間買った新聞の天気予報では、各地に洪水注意報が出ていた。しかし、明日は雨でもとにかく北を目指すぞ。

ニューキャッスル・キャラバンパーク 2泊目(27$)
本日の走行 0km

・・・次回「宿は予約なしに限る」へ続きます

■ 一周への出発 ■

一周への出発

★ 寒さと緊張の第一夜
7月26日 (木) 晴のち曇  1日目
荷物を山ほど積んで正午、3日間基地にしたヘレフォード・YHをスタートした。昨日とはうって変わり、良い天気だ。

 コリンとピーターが経営するヘルメットショップに出発の挨拶をしに行く。市内で日用雑貨品を買い揃えて北へ向かった。

 ハーバーブリッジを渡って郊外に出る時、振り返って見た。世界三大美港のひとつに数えられるというシドニー港と、その向こうに市街が広がって見えた。なかなかの景観だ。1月半後にまたな、と心で思いアクセルを開けた。

 ところで俺は当初、南から西へ時計回りに一周することにしていた。しかし、シドニー滞在中に入ってくる情報では、南部のメルボルンあたりは、かなり寒さが厳しいとのこと。それで、急きょ左回りにすることにして、暖かい北に向かって進むことにしたのだ。

 シドニーを出て、1号線・パシフィックハイウェイを快適な気分で走り始める。オーストラリアもアメリカもこんな片側2~3車線、100km/h以上で走れるような幹線道路がタダ。料金を気にせず走り放題だ。最初はもううれしくて鼻歌まじりだったが、いまいちノッてこない。思っていたより寒さがこたえる。110km/hで巡航していたが、寒さのためにすぐ疲れて眠くなってしまう。このハイウェイは車も多く、皆ビュンビュン飛ばしているが、幸いな事に日本の高速道みたいに塀はない。バイクを止めて、道路脇の草むらに寝転がった。が、目を閉じても寒くて寝られない。しばらく休んでまた走り始めるが、今度は曇ってきた空が気になる。降られると困る。レインウェアもドカシー(建築用の土方シート)も持っていない。
「どこかで買わなけりゃなるまい」

 オーストラリアは雨が少ない、といっても全土がそういうわけではないのだ。

 187km走って小さな町のガソリンスタンドに立ち寄った。ここで給油。シドニーで満タンにしてから2度目だ。10.7リットル。電卓をたたいて燃費を調べてみた。この電卓、円・ドル換算を始めこのツーリングでは色々と世話になりそうだ。17.5km/リットル。600ccだし、この荷物からすればこんなものか。このタンクは32~33リットル入りだから、ざっと見積もっても無給油で500km以上は走れる。予備のタンクは持ってないが、コリンが言っていたように、これならいくらオーストラリアとはいえ、余程の内陸にさまよい込まない限りたぶん大丈夫だろう。長距離ツーリングをするには、この燃費はどうしても知っておかねばならない重要な事なのだった。

 夕暮れが近付いてきた。ツーリングの第一夜はいつものことだが、ちょっとだけ緊張してしまう。今夜の宿は、テントでは寒さと雨が心配で軟弱な俺はモーテルを探した。近くにYHはない。だがモーテルはシングルが57ドルとのこと。これはちょっとイタイのでキャラバンパークの場所を聞くと、そのモーテルのオーナー夫妻は丁寧に教えてくれた。

 約10km離れたニューキャッスル・キャラバンパークが第一夜の宿となった。この国には車で旅をする人達のために、ガソリンスタンドがある町には、必ずと言っていいほどキャラバンパークがあった。もちろんバイクだってOK。テントを張ることも、車で寝ることも、両方ともない人はそこに備え付けてあるオンサイト・バンを利用することもできる。オンサイト・バンと言うのは、冷蔵庫付のキッチン、ベッド、テーブルなどが備え付けてあるエンジンが付いてないキャンピングカーのこと。どんな田舎でも標準設備として、水道、温水シャワー、水洗トイレ、電源はあったし、コインで使える洗濯機や、乾燥機があるところもずいぶん多かった。どこでもほとんど芝生が敷いてあり、安くてこれらの設備が使え、快適さもあって俺はこのツーリングではずいぶん利用した。

 空はますます雲が厚くなっており、雨になるのは間違いない。躊躇せずにオンサイト・バンに決めた。管理人と値段の交渉をしていると大学生の息子が帰ってきた。彼、クレイグが、大学で地理の時間に日本について習っている、と言ったことから話が一気に進み、ダブルサイズのバン、32ドルが27ドルになった。昨夜までのYHが1泊13ドルだったので、この27ドルはまだ高いのにちがいなかったが、もう決めた。腹も減ったし、ずいぶん疲れた。

 荷物を積んだまま、来た道を少し戻った所にあるスーパーに夕食の材料を買いに走った。時刻はもう7時半になっている。ビールとステーキ、それにオレンジやトマトなどの果物と野菜、米も買った。どれもこれも安くて、もううれしくなってしまう。シドニーで高橋氏から聞いていた通り、食いものは楽しめそうだ。

 バンの中でビールを飲みながら調理する。クレイグを呼んで、ガスグリルの使い方と肉の焼き加減を教えてもらった。ステーキは表面がちょっと白っぽく変わったらもうOKとのこと。ほほう、そんなもんでいいのか。靴底より大きなステーキ。中は赤いまま。これから毎日こんな生活かと思うだけでゾクゾクする。

ニューキャッスル・キャラバンパーク
     オンサイド・バン泊(27$)
本日の走行 Sydney ~ Newcastle 195.8km

… 次回「冷たい雨の足止め」へ続きます

~第一章 心強い味方との…

★ 心強い味方との出会い
 随分横道にそれてしまったが、こんな経緯があって、やっとこの旅のもう一方の主役であり、頼りになる相棒を手に入れることができた。残金は100ドル札で31枚支払ったが、外国の金とはいえ、なかなか多いという感じがした。

 ジャケットとパンツ、ヘルメットは日本から持っていったが、あとは現地調達。そのバイク屋の近くのバイク用品店を訪れた。この店は昨日、杉原氏と下見に来ていた。その時、タコ足ロープのことを『オキー』(オクトパス=タコの略だとか)と教えてくれた店主は、俺が店に入ると、
「ヒロー、ヒロー」
 と言って、名前を覚えていてくれた。俺はこのチャールズ・ブロンソンみたいな頼れる雰囲気のある、コリンというおじさんがすっかり気に入ってしまった。
「おいピーター、聞いたか。彼は日本に嫁さんと3人の子供を残して、オーストラリアをオートバイでまわるために来たんだとよ。こりゃ愉快だ。ハッハーッ!」
 彼は共同経営者という相棒のピーターに大声で話した。
「おお、そりゃ珍しい客だ。必要なものをゆっくり選んでくれ。サービスするよ」
 頭のてっぺんがもうすっかりハゲ上がっているピーターは、カウンターのレジの前に座ってそう言ってくれた。熱くなるコリンと、冷静なピーター。いいコンビだ。ブーツ、グローブ、ネットを購入。計200ドル也。10数ドルの端数は、気前よくまけてくれた。

 店を出ると雨。
「ウェー、きつい降り…」
 と思っていると、コリンが
「これは俺のだ。少し大きいかも知れないが着て行け」
 とレインウェアを貸してくれた。昨日初対面で、今日買いに行っただけなのに、と思うと、異国の地でのこの情けはうれしかった。トンズラされたら、多分わからないだろうに。この国流に言うとグッドマイト(GOOD MATE=良き友)だ。

 翌日、お礼にとチキンを買ってウェアを返しに行くと、ちょうど昼飯時。彼は俺の為にさっそくビールを買いに行ってくれ、飲み食いしながら、この国のことについて色々教えてくれた。
「ヒロー、ロードトレインには注意しろ。50mもの長さをして、150~160km/hで追い越しをかける奴だっているから」
「へぇー、そりゃすごいな。ところでアウトバックの情報を教えてくれないか。どんなことでもいい」
 俺は本でしか知らなかった。
「まず、夜間走行はとても危険だ。特にカンガルーや牛。カンガルーは光に向かって飛び込んでくるし、牛は道路で寝ていることが多い。ぶつかれば死ぬぞ。夜は出来れば走らないほうがいい。それと砂漠を走るなら水はたっぷりと持って行け。砂漠では少々の水はすぐになくなる。ハイウェイだけなら水もペトロも200km毎ぐらいで手に入る。ペトロはあのバイクなら心配ないだろう」
 彼は表のバイクをあごで指してそう言った。
「蠅が多いと聞いたことがあるが本当か?」
「本当だ。まぁ、その内慣れるから気にするな。それよりエンジンオイルは水と同様、必ず携帯していけ。こまめに交換しないと、高速走行ではエンジンがすぐにイカれてしまうぞ」
「スピードの取り締まりは厳しいのか?」
「町中では気を付けろ。ハイウェイは速度制限は一応あるがまず大丈夫だ。死ぬのは運転者だから警官もめったに止めはしない」
 帰り際彼は、
「もしケアンズへ行くなら、俺の友達がキャラバンパークの管理をしているから寄ればいい。住所はここだ。コリンから聞いて来たと言え」
 と、小さな紙片をくれた。

 コリンの店を出て、バイクのクセや調子を知る事を兼ねて、しばらく市内を走ってみた。地図等見もせずに、標識を頼りにあちこち走り回った。オフロードタイプの600ccに乗るのは初めてだったが、大きなタンクで膝の位置もぴったりとし、足付きが少し気になるものの乗りやすい。エンジン音と排気音は、共にズダダダッ、ババババッと力強い。馬力もあり、荷物を積んでいないこともあって、コーナー出口でアクセルを開けるとリアタイヤがズルズルッとスライドする。
「ほっほーっ、すげっ!!」
 単気筒独特のビリビリした振動が、膝の内側から全身に伝わってくる。快感!
 こいつなら明日からの旅も大丈夫だろう。
 しかし、足りない物や分からないことはまだまだ沢山あったし、先が読めないという漠然とした不安の方が期待よりも多かった。

 その大部分を補ってくれたのが、山本憲一君。彼とは昼にコリンの店で出会った。大阪からワーキングホリデーでやって来て、もうすぐ1年になり、しめくくりに間もなく開催されるオーストラリアン・サファリに出場するとか。話しているうち、このバイクのメンテナンスについて教えてもらうことになった。
 日本人、アメリカ人、ニュージーランド人などユースで出来た7~8人の友人達と、持ち寄りで自炊の楽しい夕食を済ませた後、彼のステイ先に出かけて行った。4~5人でシェア(費用分担)しているフラット(高級アパート)の駐車場で大まかなことを教えてもらっただけだが、これだけでも不安は随分解消された。お互いの健闘と無事を誓って帰って来た。すでに12時をまわっていた。

…次回「寒さと緊張の第一夜」へ続きます

~第一章 開店準備中の…

★ 開店準備中の旧友と再会

 シドニーでの2日目の朝はド快晴。ホンマに冬か?と思うほど暖かい。
 昨日電話帳で探し出していた学生時代の後輩の辻村嘉浩氏に電話する。日本では彼の居所はつかめず、あきらめていただけに嬉しかった。実は昨夜もコールしたのだが残念ながら留守だった。今度はかかった。
「もしもし」
「あー、もしもし。辻村?オレ。前原」
「えっ、前原さん?あの、大学の?」
「おー、そうだよ。しばらくぶり。元気?」
「元気です。久しぶりですねぇ。前原さん、今どこからですか?」
「シドニー。昨日来た」
「えーっ、本当ですか?今、高橋さんもここにいるんですよ」
 何と、学生時代の同輩、高橋実氏も来ていた。早速会う約束をして、YHまで車で迎えに来てもらう。
辻村氏とは、実に14年ぶり。もう10年もこっちに住んでいて、料理や遊びはかなりのものと高橋氏が教えてくれた。俺達は京都での学生時代、英語のクラブ・ESSで同じ釜の飯を食った仲だ。彼ら2人は、今度ここで『KYOTO』というレストラン&クラブを開こうとしている。今日はその開店を控え、応接セットなどのインテリアグッズを買いに行くという。
 とりあえず俺は、市内のアウトドア・ショップへ連れて行ってもらい、飲料水用の10リットル・ポリタンク、パッキング用ロープ、蚊帳、マット等を買う。高橋氏が、
「好きなのを選べよ。プレゼントする」
 とナイフを指差す。ありがたく西ドイツ・ゾリンゲン製のものを手にした。同級生とはいいながら、彼は4つ年上。物を貰ったからお世辞を言う訳ではないが、日本では、有名な大型のシーフードレストランをいくつも成功させていて、その業界ではけっこう名が知られている男だ。
 その後、観光がてら彼らの買物に3時まで付き合う。それにしてもこんなに予定がなく、のんびりしたのは何年ぶりだろう。
 彼らと別れて、バイク・ショップのあるセントラル・ステーション行きのバスに飛び乗った。気分はすっかりリフレッシュされていた。

 ★ 最初のトラブル

 やはりタコメーターは直らなかったとのこと。新品だと200ドルかかるという。
「まぁいいや。このままで行こう」
 あるに越したことはないが、絶対なくてはならないと言うほどのものではない。その分少し値切ってやろう。とりあえず、バイクだけは手に入れようと手続きに入った。この店で一番口が達者そうな例のマネージャーが、早口で言った。
「あと3400ドルです。」
「あー?なんでー?3100だろう?」
 聞き間違いだと思った。オーストラリアの発音は、ちょっと変わっているのだ。
「いや、3400だ」
聞き間違いじゃない。本気らしい。
「日本でFAXで照会してもらったときは、3600だった。頭金を500入れているから、あと3100ではないか」
 こんなことは小学生でもわかる。ところが、向こうはもともと3900だという。
「冗談じゃない!!」
 日本語も思わずとび出して、強硬に抗議。ボスへ電話で伝えてもらう。長らくねばった末に、やっと
「We are good company(ウチは良心的な会社だ。我々は友達だ、の意だったのかも)」
 という言葉が出た。FAXの紙片を持って行ってなかったうかつさもあったが、これではディスカウントどころか、元の値段に戻すのにえらい苦労をした。交渉の過程で、もう1台あったテネレが2900だったことを思い出し、それをいうと、あれは昨日3200で売った、と書類を見せてくれた。しかし、たった1カ月の内に、ともに300ドルも上乗せしているなんて、ウーン、なかなかやりおる。

 ★ 日本で協力をいただいた方々

 誤解のないように、あえて言っておくが、日本での紹介者に落度はない。彼は三栖宏一さんといい、自身でオーストラリア内陸部を含む一周をした後、ずっとオーストラリアン・サファリに参加している人で、この国に詳しい。
「自分で思っているようなバイクではないことが、よくありますよ」
 と日本で教えてもらっていた。FAXを入れてもらったり、色々と手配していただいたりで、何のルートも持っていなかった俺は、大いに助かった。事実、販売書類と一緒に見せてもらった日本からのFAXには、『7月23日にマエハラが着くので、バイクを仕上げておいてほしい』旨のメッセージが書かれてあった。それが決め手となり、話もまとまったのだ。
 このバイクはやはり彼の口ききで、今春、高知の人が、仕事も兼ねて内陸を走る時に改造されたものだ。その後再びこの店に引き取られ、ひょっとしてまだあるかも知れないと手を打ってもらったのだ。俺は2代目の日本人オーナーということになる。
 ちなみに三栖さんを紹介してくださったのは、あのパリ~ダカール・ラリーなどでもよく知られている山村雅康・礼子夫妻。6月に、やはりバイク仲間である岡山の細川和敬氏や原敏博氏に誘われて出かけて行った講演会で、控室を訪ね、オーストラリアに詳しい人を、と紹介してもらったのだ。
 去年の6月、オーストラリア・ストックルートツーリングで名が知られている寺崎勉氏が、ホンダのバイク・フォーラムに礼子さんと一緒に出ることを知って上京したことがある。あの頃、礼子さんの姓は三好だった。開演前に彼女が声を掛けてきてくれ、親しく話させてもらったことがあるあるだけ、というわずかな縁を頼って岡山で控室を訪ねたのだ。
 それにしても、これらバイクに関係した仕事をしておられる方々の何とすがすがしいことか。それぞれに個性があり、はっきりと自分を持っていて、本物だなぁ、と思う。年齢も俺と大差なく、良い手本として目標にしていきたいものだ。

…次回「心強い味方との出会い」へ続きます