前原弘昌のバイク旅

*何もないからコーフン!

★ 何もないからコーフン!

8月2日(木) 超ド快晴  8日目

日の出少し前に起きたが、コーヒーを沸かしたりで、出発は8時20分。またまた昨日と同じ360度何もなくアップダウンをしながらどこまでも続く直線。真っ青な空。超どピーカン。この広い空に雲が1つもない。両脇の平原はフラットで、甲子園球場の何倍とか、よく広さを表わすのに使われるが、そんな気にもならない。ほどよい硬さの土で、そこにラインを引くだけで、野球場や陸上競技場が何十万とわけなくできる。
『ふり返れば地平線』という北海道ツーリングの本があったが、ここは『どっちを向いても地平線』。それにしても、何かがあるから感動する、と言うのは分かるが、何もないのを見てコーフンし、感動すると言うのもおかしなものだ。
そんな訳で少し走っては写真を撮ったり、ビデオを構えて走ったりでいつものことながら200kmまでは、やたら時間がかかった。
やがて、彼方に灰色の煙が見えてきた。内陸の鉱山の町、マウント・アイザだ。緑の木々がある公園が印象的で、さながら砂漠のオアシスを抱彿させるこの町は、妙に人が懐かしく思えるところだった。昨日からの700km程の距離で、こんなに多くの人間は見たことがない。それほど人や町が見当たらない道中だった。ここで給油をしたが、このペトロスタンドには、バイク用のオイルがなかったため、バイクショップを聞いてそこで2度目のオイル交換をする。これから内陸に入って行くと、オイルはネックだ。ケチらずいいものを使おう。

マウント・アイザからさらに西へ、カムウィールという町へ向かう途中、小さなアリ塚が現われた。無数と言えるほど沢山あるのだが、本当に不思議なことに、俺にはその1つ1つが仏や観音、子供を抱いた地蔵にまで見えた。全てがこちらを向いて微笑んでいる。そんな気がした。心理学では、自分の心の中にあるものがそこに写し出されるのを投影と言うが、ならば今日の俺の心には仏がいたのか。バイクから降りて、数枚の写真を撮ったが、現像してそこに写っているものは果たして何だろう。
ところがエンジンがなかなかかからない。最近こんなことはないのに……。
「はーっ」
ため息をついて下を見ると、タンクとシートの間にカメラの電池カバーが落ちてはさまっていた。もしすぐにかかってスタートしていたなら、失っていたに違いない。その後、キック1発でかかった。“仏の御加護”とは思い過ごしか。

西へ進んでいる分、日の入りが少し遅くなっている気がする。5時半、カムウィールに到着。もう少し先へ進もうかと思ったが、次のキャラバンパークまでは400km程あるとのこと。コリンに聞いて以来、夜間走行は危険過ぎる、と、もう何人にも聞いていた。その言葉通り、今日もたくさんのカンガルーの死体を見た。前夜、長距離バスかロードトレインにはねられたのだろう。2~3体が5~10m位の間隔で転がっていたところもあった。奴らはライトに向かって飛び込んでくる。その為この国のアウトバックを走る車はほとんど、前部にカンガルー・バーと呼ばれる大型のバンパーを取り付けている。今日見た死体の大きさくらいの奴が、バイクに突っ込んできたら、こっちの命だって危ない。

少し早いが、今日はここでテントを張ることにした。キャラバンで移動している家族が多い。大型のテント設営や食事の手際が実にいい。楽しみ方も控え目で、テープやCDを鳴らし続けておくということもない。大人も子供も話し、笑いながら、受け持ちの作業をやっているし、気さくですぐにマイト(友達)になれる。
彼らがビールを飲んでいるのを見て、この2~3日アルコールを補給してないことに気づいた。内陸での緊張感からか、本当にすっかり忘れていた。近くの酒場で、缶ビール(VB)2本を仕入れ、飯を炊きながら喉をうるおす。内陸ということもあってか、値段はシドニーの倍。それでも1缶2.5ドルだから日本よりちょっと高いくらいか。

それはそうと、今夜のテントサイトの料金をまだ払っていない。いつのまにか入り込んでしまっていた。あまりに堂々としていたので向こうも気づかなかったのかな。ま、いいか。ゴメンネ、管理人さん。……これで本当に仏が住んでいるのだろうか。

カムウィール・キャラバンパーク泊(タダ)
本日の走行 Richmond ~ Camooweal 602.7km

次回「オー・マイ・ゴッド!!」へ続きます

 

 

オーストラリア紀行~第二章

第二章  灼熱の地平線はるかに
      アウトバック~北の熱帯

…快適すぎる環境は
…人の感性を鈍らせる
…自然とつきあう 時間が増えるほど
…人の目は輝き
…いい顔になっていくもんだ
…急がずゆっくり楽しもう
…それがいい

★「この国」よりも「この大陸」

8月1日(水) 曇のち晴れ  7日目

 昨夜寝る前からさんざん迷ったあげく、ついにケアンズはあきらめて内陸に入って行くことにした。青く透きとおった海と珊瑚礁のグレートバリアリーフも確かに魅力なのだが、限られた日数で、より自分らしい旅をしようと思えば、どうしても内陸の魅力のほうが勝るのだった。昨日チェーンが新しくなったことも突入する自信の1つになっていた。

 とりあえず夜のうちにポリタンクにほぼ一杯の熱湯を入れ、冷ましておいた。生水より安心できる。まだ何も知らず、分からないので慎重過ぎるくらいが丁度いい。
 市の中心のマーケットで、3日分の食料品とゴム手袋(雨対策)、じょうご(オイル交換用)など買い揃えた。トラベラーズチェックも200ドル分現金にしておいた。

 こういう作業をしているうちに、腹はすっかりすわってきた。情報収集とかはキリがないし、マシンのチェックもこれ以上は俺には出来ない。万一のときは通りかかる車をつかまえればよいのだ。俺の走るのはストックルート(けものみち。日本とはイメージはずいぶん異なるが)ではないのだから。
 西へ向かい始めると車の量が全く違っていた。ずいぶんと少なくなった。グレートディヴァイディング山脈を越える途中は、曇っていて寒くさえあったが、さらに数十キロ進むとやがて360度完全にさえぎるものがなくなり、雲までもなくなってきた。見渡す限りの荒野が、地平線まで続いている。真っ青な空が、俺の頭上に180度の弧(半球というべきか)を描いて広がっていた。
「うぉー、これだ、これ、これ!こいつを楽しむためにはるばるとやって来たんだ」
 俺は『この国』よりも『この大陸』に興味があったと言える。大海原とも思える大平原の中を、一本の道がほとんど分からないぐらいのアップダウンをしながらどこまでも続いている。時折大きなカーブを描いて曲がるとまたまっすぐ。この先何十キロ、何百キロとこんな道が続くのだろうか。10kmおきぐらいに『FLOOD WAY』と書かれた黄色い看板が立ててあるのが妙だった。
「何でここが、“洪水の道”なんだ?この広いところにどこから水が来るんだ。ここが沈むのか?」

 オーストラリアのストック・ルートを走った寺崎勉氏が、彼のバイク旅の本『どこだって野宿ライダー』の中でそれに遭遇したことを書いていた。雨季にあたる12月から3月ぐらいは、多量の雨が降り、小川を氾濫させるらしい。だが今この何も障害物が見えないところでは、いくら考えても想像できなかった。まっ、簡単に想像できないようなところが魅力でもあるか。急がないことにした。ゆっくり楽しもう。それがいい。
 太陽がだいぶ西の空に傾いた頃、リッチモンドというここらあたりでは大きな町(他に町が無いのだが)に着いた。ペトロを入れて燃費を出してみる。17km/リットル。スピードはずっと110~120km/hだったので、水などで荷物が20kg近くも増えた分、ちょっと悪くなったのだろう。

 今日はここ迄にしておこう。これからはしばらくテント生活を楽しみたい。ぐあいよく、このペトロスタンドでキャラバンパーク利用の申し込みが出来た。道路を挟んで100m位先にある。すでに7~8台のキャラバンカーが止まっていて、テーブルなんぞ出してコーヒーや夕食を囲んでくつろいでいる。もう退職した人達なんだろうか。圧倒的に老夫婦が多い。テントは俺だけらしい。
 バイクのスタンドを下ろすのとほとんど同時に夕日が沈んだ。宵闇が急速に訪れてくる。ちょっとうるさいかな、とも思ったが、バイクのエンジンをかけ、ライトをつけてテントを張った。コーヒーの湯を沸かしながら、パンをかじる。それにベーコンを輪切りにして炒めて、夕食にする。
 すごく大きな星空だ。『夜空に輝く南十字星』。昔、もう27~8年ほども前、少年画報という雑誌に連載されていた「ゼロ戦太郎」の正月号特別付録カルタの“よ”を思い出してしまった。

 テントの中で頭上の懐中電灯を頼りに書く日記は、目が疲れる。今朝買ったラジオからは、当たり前だが英語のディスクジョッキーが流れてきている。不思議に何の違和感もない。もっとも、曲を紹介してその曲が始まるまでは、ラジオが故障したのかと思うほど間が長かったり、途中から始まったりで、これがオーストラリアらしい、のかなとも思う。
 それにしても、あの直線と地平線には感激したなぁ。ここでこんなのだったら、もっと奥へ行ったらどうなるんだろう。やっぱり飽きることがくるんだろうか。山脈越えの時は、ジャケットの上にレインウェアを着込んで寒さをしのいだが、明日はどうなるのだろう。大自然への期待ばかりでゾクゾクする。今、テントの外はちょっと風があって冷え込みがすごい。こりゃ、明日の明け方はたまらんぞ。

リッチモンド・キャラバンパーク泊(3$)
本日の走行 Townsville ~ Richmond 511.4km

次回「何もないからコーフン!」へ

*スペシャルベッド

★スペシャルベッド
7月31日 (火) 晴れ  6日目
「モーニン。昨夜はありがとう。もう出発するから」
 事務所に行き、お礼を言うと、奥さんのデニスが預けていた寝袋をわざと力いっぱい投げ返してくれた。
「気をつけてね」
 そう言って、ウィンクしてくれる。年をとってもこういう茶目っ気は感じがいいものだ。

 天気は申し分なし。ブルースHWYを更に北へ上る。今日の目的地はタウンズヴィル。700km以上はある。そこから西へ向かうと俺には未知の世界、アウトバックが広がっているのだ。
 最初の休憩は、ペトロの給油時。240km弱走って来た。シドニーでバイクを手に入れて2000kmが過ぎたので、オイル交換をすることにした。ここのスタンドで”カストロ”を2リットル買って、オイルを抜いてみる。もうドロドロだ。高速走行を続けているからかも知れないが、それにしてもこの汚れはただごとではない。あまりいいオイルを入れてないことは、購入時のゴタゴタで予測はしていたが、やはり自分の手、自分の目で早目に確認するに限る。これも自分の責任だ。
 1.5リットルほどでいっぱいになる。エンジンの中にもまだ0.5リットルぐらいは入っていると思うが、もう1ヵ所の抜き方が分からないので、つぎ足しみたいな格好になった。エンジンは命だから、当分はもっとこまめに交換して状態をチェックしなければならない。

 次の休憩地は、MACKAY(マッケイ。現地読みにするとマッカイか)。ちょっとしたシティーである。HWYからそれて市内に入っていくと、右手に大きなバイク屋があった。小綺麗で日本の店のイメージに近い。店前にバイクを止めた。
 今朝出発時から伸びが気になっていたチェーンを交換することにした。前後のスプロケットも同時に新品に交換する。
 2人の職人は実に気さくだった。年長の男に、ブレーキオイルのつぎ足しをやって欲しいと頼むと、彼は若いのに指示してオイルを持ってこさせた。スプリングをハードにして欲しいという要求にも快く応じてくれた。そしてこれらの作業は、ボスに内緒でやってくれ、作業報告書への記入はしなかった。
 ここで新たに購入したプラグレンチも含め、代金は合計199.5ドル。2万4千円。ちょっと高い気もするが、これで安心も買うことが出来たと思うことにしよう。
 タウンズヴィルまであと400km。3時に再スタートした。日が落ち始めると、道路のほとりの草むらがあちこちで燃えているのに出くわした。
「おお、これがあのブッシュファイアーか」
 大阪のオーストラリア政府観光局にあったツーリングの本で読んで以来、何度か目や耳にしたあの『やぶの火事』だった。人が火を付ける場合もあるが、時には自然発火もするらしい。瓶底がレンズになったり、前日の火事の熱が、午後から夕方になって地熱が上がり発火したりする。他にも原因があるらしいが、とにかく日本の常識では測れないことだ。中にはスペシャルな大火事になっているところがあるが、慣れているのか牛はその近くでのんびりしている。消防自動車が来るには遠すぎるし、第一来ても水などない。飛行機まで使って消化する程のものではないのだろう。ほったらかしのままだ。とてつもないスケールの焼き畑、といった感じか。ここでもオーストラリアの広さを感じた。
 道も長かった。とにかく長い。今日も120~140km/hで走ってきたが、走っても走っても同じ様な道が続いている。

 日が落ちてからかなり経って、やっとタウンズヴィルに到着。YHを探し宿泊の申込みをする。ワーデンはこう言った。
「満室になっている。だが、君にはすばらしいスペシャルベッドを用意する。ちょっと待っていてくれ」
 すばらしいスペシャルベッドという言葉が、頭の中で繰り返され、期待が大きくなっていった。
「特別室にでも泊めてくれるんだろうか」
 10分程待たされ、受け取ったキー番号の部屋を探し、荷物を運び込んだ。6畳ほどの部屋にベッドが3つ。だが、どれにも荷物が置いてある。部屋番号を確かめた。間違っていない。よく見ると入り口の右奥の床に、10cm程の厚さの青いマットが敷いてある。
「あのヤロー。なんて奴だ。料金もそのまま取りやがって」
 しかし、素晴らしいかどうかは価値観の違いだから別として、スペシャルには違いない。勝手に想像した俺が悪い。一本とられてしまった。
 やがて気持ちもおさまり、明日からのことを考え始める。このまま北のケアンズまで上り、また戻って西へ進むか、ここから西のアウトバックへ入って行くか、迷うところだ。

タウンズヴィルYH泊(10$)
本日の走行 Rockhampton ~ Townsville 740.8km

 

もう1冊の日記帳(2)

7月23日
 由佳が熱を出しています。今朝より38.5℃。加藤小児科へ連れていきました。未佳が「お母さん、寂しい?」って聞くんですよ。「うん寂しい。お父さんに会いたい」って言ったら、笑ってた。午後6時半あなたから国際電話。元気そうな声。すぐそこにいるような、近くで聞こえる声でした。

7月25日
 今日ナナハンに乗ったおじさんを見ました。あなたの事が思い出されました。

7月27日
 やっぱり寂しいのかな。2時頃から宏光がお父さんの部屋へいき、1時間ほどずーっと本を読んでいました。普段余り行かないのに、暑い部屋で本を読んでいる姿を見ると、貴方が恋しいのかな、なんて思い、胸が熱くなりました。

7月28日
 子供のスイミングも一段落。進級テストで未佳がワッペンをもらいました。嬉しそうにプールから出てきましたよ。やっと21級です。宏光は残念だったけど、まあ次回を期待して・・・。
 夕方、和歌山の実家に到着しました。

7月31日
 午後8時半待望の電話あり。
 気のせいか少し疲れているように思えました。大丈夫ですか。病気しないでくださいね。元気に帰って来てくださいね。
 電話のそばで「俺の事言わへんのか?」と宏光。お父さんに会いたいようです。毎朝8時から9時まで勉強し、ボール投げも頑張っています。昨夜喘息が出て、薬を飲ませました。

・・・次回「『この国』よりも『この大陸』」へ続きます

 

 

*どういたしまして…

★どういたしまして(WELCOME)?
7月30日 (月) Rainy Day  5日目
 目が覚めて最初に聞いた音が雨音。しかもかなり激しい降り方だ。つい2日前に降ったばかりなのに、まいった。しばらく、ここで1日過ごすか、と思いながら荷物を整理したり地図を見ながら迷っていた。滞在の理由はいくらでもある。チューブやタイヤ、プラグレンチなど、この町では手に入れやすい物がいっぱいあるからだ。ラジオも欲しかったし。でもこんなことを続けていては、いつも言い訳ばかりの旅になってしまう。暖かい北へ向かうのに、まだこんな弱気ではこの旅はとうてい完成できない。
「よし行くぞ」
 と意を決したのは10時前。昨夜遅くまで話した群馬の小田裕明君(バスで3ヵ月かけて一周中の学生)と、京都の不動産会社から調査員として派遣されている西垣義嗣氏(26歳)に送られて雨の中へ飛び出した。レインウェアの初使用日だ。

 ルート1・ブルースHWYを一路北へ。目的地は、西垣氏から聞いた南回帰線の通る町、ロックハンプトン。650km北。この雨の中、ちょっと遠いが行けるところまで行くしかない。スリップに気をつけながらの走行が続く。
 220km程走った小さな町の店(食料品の売店とゲーム機やレンタルビデオがおいてある開拓時代のような喫茶店)で朝食兼昼食兼休憩をとることにする。2時間以上無休憩で来たので、手はすっかりかじかんでしまい、トイレでの用足しも思うように手が動かない有様だ。かろうじて間に合ったが、危ういとこだった。その店でクリームパン3個とハムを2.9ドルで買った。安い。
「ドリンクは?」
「いらない」
 そう答えると、濃い小麦色の肌をしたそのお姉さんは、ちょっと経ってから、
「これは私のおごり」
 とコーヒーを入れてくれた。ハムにもサンドイッチ用のパンを2組、バター付で出してくれた。俺は用足しが近くなるから飲みものを頼まなかっただけなのだが、このみすぼらしい格好を見て、気の毒に思ってくれたのに違いない。このやさしい勘違いと親切は、雨で窮屈になっていた俺の心をすっかり和ませてくれた。本当の理由など説明する必要はない。ありがたく情けを受けた。

 さらに260kmほど走って給油。19km/リットルのアベレージだ。タバコを1本吸い、また走り始める。ロックハンプトンまではあと170km。1時間半あれば着くだろう。この頃になって、ようやく雨の地域を通り過ぎたみたいだ。濡れた手袋も、いつの間にか乾いてしまっている。
 120~130km/hでの走行が続く。後の荷物は、日本から持ってきた強力ナイロン袋に入って守られているが、衣服は濡れてしまっている。レインウェアの首や裾から雨が入り込んでいたようだ。胸元のボタンをはずし、風を通して乾かしてやる。だが寒さは感じない。
「そうかー、ここは北半球で言えば、台湾あたりだからそう不思議でもないか」
 などと考えながら、ずいぶん上ってきたことを実感する。

 7時、ロックハンプトンに到着。XXXX(フォーエックス)というビールの看板が出ている店で、そのビールを2缶買う。ついでにYHの場所を聞いた。
 YHに着き、レセプション(受付)に行くと、ホステル・マネージャーが、
「どういたしまして」
 と日本語で挨拶する。
「ん?何やそれは?」
 サーファーズ・パラダイスでは、店の入り口に『どういたしまして』と日本語で書いてあると、昨日梅沢君達から聞いたが、ここでもか。どうもWELCOMEの訳し違いらしい。奇妙な日本語に思わずおせっかいをやきそうになりながらも、慣れない日本語で歓迎してくれた心遣いに、俺も笑顔で応え、
「こんばんはー」
 と日本語で返した。最初に案内された部屋は、ベッドの下段がすでに詰まっており、そのことを言うと、
「ちょっと待ってくれ」
 と言って食堂の隣のまだ誰も入っていない部屋へ通してくれた。疲れている時は、できればベッドの上段には寝たくない。マネージャー(ワーデンと言うらしいが)のヴィンスに感謝。濡れた衣類を脱ぎ、シャワーを浴びた。作務衣に着替え、くつろいだ気分になって、部屋に帰り素早くビールの栓を開ける。ここは酒を飲んでもいいのかどうか分からない。でも隠れて飲むビールの味も、又格別なものがある。

 庭に1人の日本人女性がいた。大津出身の山下喜代美さん。ゴールドコーストでツアーガイドをやりながら、今は旅をしているとのこと。今夜の長距離バスで南へ帰るとか。
「そういえばシドニーのYHで会った姫路の吉川じゅんちゃんもサーファーズ・パラダイスでツアーガイドをすると言っていたなぁ」
 ワーキングホリデービザで来る女性に人気が高い仕事らしい。話しているとヴィンスが1枚のコピーを持ってやってきた。
「これを読んでくれないか」
 見ると日本語だ。ゆっくりと読みながら、ついでに英訳も付け加えた。
「ん、どこかで読んだことが…」
 と思って俺の持ってきたガイドブックをめくると、
「あった、あった」
 JTBの『自遊自在』に載っていたのだった。
「あぁ、ここのことだったのか」
 来てみたいとは思っていたが、よくは覚えてなかったのだ。そうと分かれば、是非とも正しい日本語を覚えてもらわねばならない。人を迎えるときは、『ようこそ』だと自信を持って教えた。
 それを聞いて彼は何度も練習する。
「よこそ。よこそ」
「ちょっと違うなぁ。よ・う・こ・そ」
「よ・こ・そ」
「あーっと、じゃ『よ』を強く言ってみてよ」
「よーこそ」
「OK。エクサラント!」
 すっかりいい気持ちになってしまった。

 ヴィンスは車で山下さんをバスターミナルまで送ってきた後、俺を誘ってくれた。
「ヒロ、君や日本の話を聞かせてくれないか」
「もちろん、喜んで」
 奥さんとのプライベートの部屋(兼事務所)に俺を通してくれ、ビールを出してくれた。これはヴィクトリア・ビター(通称VB)で結構俺好みの味がするやつだ。今度は堂々と飲んでもいいのだ。さっきのことを思い出しておかしくなった。
 旅に出るまでのことやこれからのことを話した。
「君はブレイブ(勇者)だ」
 との言葉には、正直嬉しくもあり、またちょっと恥ずかしくもあった。お互いの家族のことを話している内、心理学や催眠のことに話がいく。
「ヒロ、それを体験することが出来るか?」
 ヴィンスがそう聞いてくる。彼も奥さんも肩をすくめながらも、興味津々といった顔付き。
「オーライ。じゃ簡単なものをやりましょう」
 ヴィンスに自然体で立ってもらい、俺はその横に彼のほうに向かって立った。
「静かに目を閉じて、体から力を抜いてリラックスして」
 そう言って、彼の左肩の上に両掌をかざし、ゆっくりと腕を伝って指先まで手を下ろした。彼の腕は3cm位も伸びて、左肩がずいぶん下がっている。真剣に見つめていたデニスの目が、大きく見開かれた。
「どういう感じがしますか?」
「すごく不思議な気持ちだ。すごくハイな気持ちになっている。君達がずいぶん下の方にいるようだ。まるで巨人になったような感じがする。すごく気持ちがいい」
 彼は目を閉じたまま、ゆっくりと思い付くままを言ってくれた。右側の肩も、同じことをやって感じを聞いた。さっきの感じがさらに進んだとのことだった。彼の感性の鋭さに恐れ入った。普段の自分をきちんと観察していないと、ここまでのフィードバックはそう簡単に出来るものではない。

 1時間ほどして、日記を書くからとその場を辞した。もちろん入るとき同様、出るときも日本式のお辞儀をする。それをヴィンスは、たいそう気に入ってくれた。
 ヴィンスは、ガイドブックに書いてあった通り、大きな声で挨拶してくれるのが、本当に印象に残った。ハッピーな夜をありがとう。雨中走行は楽ではなかったが、いい出会いがあって、ほのぼのとする思い出を作ることが出来た。やってきた甲斐があった。空には一面の星、星、星。こんなに大きく沢山見えるのは、やはり空気が澄んでいるせいなのか。2年前、アメリカ西海岸の心理学研究所・エサレンにいる時も、太平洋の水平線の彼方まで続く銀河と超雄大な星空が眺められたが、ここはそれに勝るとも劣らない。日本で冬に見えるオリオン座は、オーストラリアでも冬の星座だった。三ツ星がまばゆくまたたいている。

ロックハンプトンYH泊(9$)
本日の走行 Brisbane ~ Rockhampton 656.7km

・・・次回「スペシャルベッド」へ続きます

*誰だって、美しいものが…

★ 誰だって、美しいものが見たい
7月29日 (日) 快晴  4日目
 ラッキーなことに夜明け前に目が覚めた。すぐにバイクで岬の灯台に向かう。
行き止まりのフェンスをくぐり抜け200mほど歩いて坂道を上った。ここがオーストラリア本土最東端。
季節や緯度、海抜などにとらわれず単純に考えれば、1番早く朝日を拝める場所ということになる。誰もいない。
少しして、赤い帽子を被ったひとりの男性がカメラを3~4台持って上がってきた。年の頃は50ぐらいか。
「やぁ!」
 お互いにそう言ってカメラの準備をしながら東を見続ける。
「あなたはプロのカメラマンなんですか?」
 俺が声を掛けた。
「ちょっと違う。私は写真家だ。メルボルンからやって来ている」
「こんなに遠く離れたところまで?」
「1~2週間ずつ位の日程で方々に出かけて写真を撮るんだ。あんたがこんな遠い所までやって来ているように。あんたは日本人?」
「そうです」
「美しいものが見たいという気持ちは誰でも同じだよ」
 デニス・ライアン氏はそう言って、メルボルンへ来たら連絡しろと、彼の自宅と仕事場の電話番号を書いてくれた。

 日が昇ってきた。あいにく東の海上には雲がかかったままだった。雲の切れ間から光が線になって延びる。
自然に文句を言っても始まらないが、せっかくの場所だからもっと心に残るようなシーンが欲しかった。
彼はこの日の出をどんなふうに表現するのだろう。また今どんな気持ちでファインダーを覗いているのだろうか。カメラを取り替えては、シャッターを押し続けているこのおじちゃんのことがずいぶん気になった。

 YHに戻り朝食を済ませた後、針金を巻いてバックミラーの付け根を固定させた。最初からグラグラしていて気になっていたのだ。これでずいぶん使い易くなった。ちょっとしたことだが、いらないことに気を遣うのはあれで結構危ないものだ。

 レンガ造りの低い家並みのバイロン・ベイの町中を通って北へ向かった。30分くらい走ってボーダー(州境)を通過。ニュー・サウス・ウェールズ州からクィーンズランド州へ入った。
 ここから北へゴールド・コーストと呼ばれる美しい海岸線が30数kmに渡って続く、と日本で読んだガイドブックに書いてあった。
能登半島に千里浜という10km程の砂浜がある。そこはバイクはもちろん、大型バスまで走れるほど砂が固い。行く度に快感が得られた所だ。ここはそれのもっと長いものだろうと結構期待していたのだが、残念、砂浜を走るような事はなかった。

 カランビン野鳥保護区へしばし立ち寄った後、砂浜や波のきれいなところをビデオやカメラで撮りながらゆっくり進む。
 海岸線はゆるく大きな弧を描いて右にそれていき、やがて先端は水平線とつながっていく。そのはるか彼方の海上に、多くの白い高層ビルが浮かんで見える。
「あれがサーファーズ・パラダイスか」
 蜃気楼みたいでなかなか幻想的な眺めだ。

 大きなホテルや店が乱立しているゴールド・コーストの中心地、サーファーズ・パラダイスで信号待ちをしていると、前方で2人組が手を振っている。が、女性ではない。若い男達はシドニーのヘレフォードYHで一緒だった、千葉から来た梅沢岳(たかし)氏と田中伸幸氏のコンビだった。
「おー、ここに来てたの」
「やっぱり前原さんだった。日の丸が付いたヘルメットでそうじゃないかと思った」
 再会に歓声をあげ、さっそくビールを買ってきて砂浜で祝杯をあげた。オーストラリアで1番とも言えるこの観光地でライディングウェアにブーツ、ヘルメットを持っての砂浜入りは少々気が引けたが、やがて上半身裸になっての撮影会となっていき、わが魔性を抑えることは出来なかった。
 すっかりいい気持ちになったが、いつまでもここで観光客している訳にはいかない。

 彼らと別れてまた北へ向かった。俺は長い間の習慣で午後3時を過ぎた頃になると、がぜん元気が出てくる。どこまでも走れる感じがするのだが、ブリスベーンまで1時間ほど走り、HWY(ハイウェイ)を下りた。

 大都市ブリスベーンの市街地は日曜日のためか車も人通りも少ない。きれいなシティーだ。
こんなにきれいなビルが立ち並んでいるのは、あまり見たことがない。ところが、町の真ん中あたりに大きな空き地があって、車がパラパラと駐車してあったりして。分からない所だ。
 先へ進もうとHWYに戻ったが、空にはあやしげな雲。引き返してブリスベーン・シティーYHに投宿。シドニーを出て今日で4日。通算1100km。早くはないが、まぁ俺のペースとしては、最初はこんなものだろう。マシンのクセや色々な問題の箇所も、この間徐々に分かってきた。今日はブレーキがキイキイ鳴るのが気になった。

 YH駐車場で前後のブレーキをはずしてチェック。リアは残りが2mmほどか。近々替えた方がいいだろう。前はOKだ。ただ両方ともブレーキオイルが少ない。バッテリーはOK。振動で少しずれたガソリンタンクを、動かないようにタオルをねじ込んでフィットさせた。オイルフィルターカバーのネジ1本とガムテープ1個がどこかにまぎれこんでしまった。困ったメカニックもいたもんだ。まぁいいか。

ブリスベーン・シティーYH泊(12$)
本日の走行 ByronBay ~ Brisbane 250.8km

・・・次回「どういたしまして(WELCOME)?」へ続きます