前原弘昌のバイク旅

オーストラリア紀行 ハッピーバースディ

ハッピーバースディ

9月1日(土) 超ド快晴 38日目
 
 冷え込みの激しい朝だった。テントから顔を出す。外はほんのり明るく、御来光を拝むまでにはもう少し時間があった。近くの枯木を折ってきて、火を起こす。しばらくしてシャイが起きてきた。コーヒーを作り、2人で飲みながらカメラを構えて日の出を待った。ほとんど360度視界のきくいい場所だ。そのうち他の2人も起きた。フランス女性のシャントールは、いつもシャイのテントで寝るらしいが、昨夜は寝袋だけで外で寝ていた。ずいぶん寒かったろう。バイクのシートには、うっすら霜が降りている。ここは冬だ。皆で記念撮影をして、俺が最初に出発した。彼らとは向かう方向が逆なのだ。バイクに股がった俺に彼女がカメラを向ける。
「写真を送ります」
そして、イタリアで買ったという、コーヒーの小瓶をくれた。

 1人南へ向かう。昨日はしばらくぶりのオフロードにとまどったが、今日は心も体も十分に準備できており、その上タイヤも新しい。80~100㎞/hで巡航する。砂地に何度も入り込んだが、昨日みたいなヘマはもうしない。腕に力を入れてハンドルを押さえ付け、腰を少し浮かすようなフォームでなんとか切り抜けた。
205㎞走ったウィリアム・クリークで昼食。VBのビールとサンドイッチというリッチさ。空きっ腹だったので、酔いも少し回り、すっかりいい気持ちになった。

 更に南へ210㎞。このオードナダッタ・トラックでは、大きな町の部類に入るマーレーで給油。燃費は何と23・2㎞/ℓ。100㎞/hまでのスピードなら、これくらい走れるのか。これだと無給油で750㎞は走れる。
 夕暮れ空のあまりの美しさにバイクを止め、道端に座ってしばしボーッと眺める。車もほとんど通らないし、この大自然を独り占めできるぜいたくを一体なんと表現しよう。
 8時半。レイ・クリーク・サウスという結構大きな町の外れにある公園に目がとまった。ここのパーキングにテントを張ることにする。もう真っ暗で寒かった。テントで寝るのは今夜が最後かもしれない。

 今日は末娘、由佳の1歳の誕生日。彼女が大きくなって、あのときお父さんは、オーストラリアをバイクで走っていたと知ったら、どういう顔をするのだろうか。とにかく、オーストラリアより

『HAPPY BIRTHDAY,YUKA』

  レイ・クリーク・サウスのパーキング泊(タダ)
  本日の走行 Oodnadatta ~ Leigh Creek South  546・2㎞

・・・次回「オフロードの奥へ」に続きます

オーストラリア紀行 “自分の旅”を…

“自分の旅”をしているか

8月31日(金 快晴 37日目

 雨は降らなかったが、フライシートの内側は露でびしょ濡れ。裏返して乾かしながら、バイクのチェック。
まだ暗いが、近くの明りで何とか見える。日の出と同時に出発した。
このまえ雷にあったカルゲラのロードハウスまで七五㎞。四〇分ほどで着いた。給油をした後朝食。ベーコンエッグのトーストにコーヒー。外食はすっかり、このパターンにはまってしまった。
俺は日本でも、気に入ったメニューがあると、しばらくそれを食い続ける。サバ煮定食やジンギスカン定食、ギョウザなど飽きる一歩手前まで食ってきた。

 そこから更に一〇〇㎞程走ると、前方二㎞右側に白い点が見え始めた。やがて人が歩いているのだと分かる。うしろにリヤカーが見えた。
「おっ、彼だ!」
先日の出会いが懐かしく蘇った。バイクを止めて、挨拶する。嶌田(しまだ)和雄氏。二六歳。
一日の歩行距離が想像通り、四〇~五〇㎞だった。およそ二〇〇㎞毎に点在している町を四日かけて進む。食料は一五日分仕入れておくそうだ。
「カルゲラまではどのくらいですか?」
彼が聞いた。
「一〇〇㎞ぐらい。一時間前そこで飯を食ってきました」
と答えると
「一時間前ですか。はぁー」
とため息をついた。彼にすれば二日以上の距離なのだ。一〇〇〇㎞で一足の靴を履き潰す。アシックスを三足用意している。テントはハイウェイから外れて、ブッシュの木の下にリヤカーを隠して張る。人間が一番恐いから、と言うのは少し解かる気がした。
「これはどれくらいの費用がかかっているんですか?見当もつかないんですが」
「リヤカーですか?これは日本製で、二本のスペアータイヤが付いて三九〇〇〇円。送る船賃が一四~一五万かかりました」
「じゃあ輸送代の方がずいぶん高くついているわけですね」
「そういうことになりますね」
とつとつと話す彼の人柄と彼のやっていることに魅かれて、あれこれと聞いてしまった。俺とは全くタイプが違う人間だった。
 記念撮影をして住所交換をする。俺が京都なのを知って、
「バイクでオーストラリアツーリングをした京都の三栖という人を知っていますよ」
と言う。
「えーっ、本当ですか。三栖さんの紹介で俺はこのバイクを手に入れたんですよ」
「以前勤めていた東京の石井スポーツに、アウトバックを走るからとグッズを買いに来たことがあり、その時知ったんです。話しはしなかったですが」
人の縁とはこういうつながりをするものなのか。
別れ際、
「縦断の成功を祈っています」
と言うと、
「それじゃ気を付けて下さい。さいなら」
そう言うと、くるっと向きを変え、またリヤカーを引いて歩きだした。その素朴さがよけいに印象を強くし、心に残った。

 昨夜はスチュアートHWYを一路下ることにしていた。だが『チャンドラー』という看板を見た時、急に気が変わった。ここから左に行けばオフロード・トラック(砂漠の中の未舗装の小路)に入って行けると知っていた。
 さっきの嶌田さんの、文字通り地に足がついた旅と、三栖さんの名前も影響したのだろうか。やはり旅の終わりにオフロードを走ってみたくなり、左に折れた。
しかし、最初の三〇㎞はほとんどバラスの、いくらでもパンクしてくださいと言わんばかりの砂利道。時々滑らかになったかな、と思ってスピードを上げると砂地になったりして、重い荷物を積んだXT600では遊ぶ余裕はなかった。

 五〇㎞ほど走ったところで、急に深い砂の轍の中に入り込んでしまい、ハンドルを取られ大転倒。
「やった!」
スピードは八〇㎞/hぐらい出ていた。前輪が滑り始めた時、足をついて転倒を避けようとしたのが悪かった。走行中の転倒は、初めてだった。幸い指を挟んだ以外は怪我もなく、外見上はバイクも壊れていない。荷物を外し、バイクを引き起こした後エンジンをかけてみる。キック三〇回ほどでかかった。ほっとして、煙草を吸いながら、事故現場の記念撮影をすることにした。

 あとで気が付いたのだが、オフロードパンツの膝が擦り切れていた。しかしニーパッドを入れていたので、大切な膝は無事だった。
こんなに車が来ないところへ入ったのも珍しい。四~五時間、一台にも出遭わなかった。左手に白い小さな小山が見えてきた。それがおっぱいに似ていて、思わず道からそれて撮影に向かった。どうせこんなところを走るになら、もっと楽しまねば損だと思い、あちこちでカメラを構える。それにしても山までおっぱいに見えるとは、性欲が溜まりまくっているのかな。禁欲生活がずいぶん長い。

 四時半、オードナダッタという小さな町に着く。このオフロード・トラックはこの町の名前が付いているのかと、はじめて知った。古いひなびたスタンドで給油。前タイヤが気になる。台湾製は質が悪く、五〇〇〇㎞も持てば良いほうだと聞かされていたが、こいつは何と一六〇〇〇㎞も走ってくれた。さすがにもう山が無い。確実に交換ができるアデレードまでは一〇〇〇㎞以上もある。
こいつは困ったもんだと思ってふと見上げた看板に、『TYRE』の文字。まさかこんな片田舎に、と思ったが早速訪ねてみると、
「ウチには車用しかないが、町外れにあるロードハウスなら、モトクロスタイヤはあるかも知れない」
とのこと。喜んですぐ走る。
「あった!」
サイズもOK.。ここのオーナーがモトクロスバイクが好きで、自分用に置いているものだった。
「ハードとソフト、どちらもあるがどっちがいいか?」
「どう違うのか?いや、どっちが安い?」
「ハードが七五、ソフトが五〇だ」
「じゃ、ソフトの方。もう残りの距離も僅かだし、ソフトでもシドニーまで十分行けるだろうな」
「もちろんだ。交換はどうする?工費は二〇だが」
「自分でやるからいい」
「じゃあ、そこの修理工場を使ったらいい」
五〇ドル(六〇〇〇円弱)と引き換えにタイヤをもらった。ダンロップ、日本製ではないか。こりゃいい。そこのロードハウスの所有になっている車の修理工場にバイクを持ち込んだ。

 このロードハウスの横、工場の前でタイヤのパンクを修理していた三人のライダーに会った。一人は若い日本人。一人は金髪女性。もう一人は、金髪で青い目をした二〇代半ばの男。おもしろい組み合わせだ。
 俺は一時間ほどかけて何とかやり上げた。しかし、もう陽はほとんど落ちかけている。
「今夜はどうするんだ?」
金髪男が聞いてきた。
「ここでテントを張ることになりそうだ」
「一緒にどうだ?」
「いいとも。楽しくなりそうだ」
 彼らと野宿をすることに話がまとまった。町から少し走って、脇道にそれた所にテントを張る。広く見渡せ、地面に小石も少なく気分最高の場所だ。
 日本人男性田端功氏(18歳)が、ずっと英語を使うよう努力しているので、俺もそれに合わせ、二人が話す時も英語で通した。ファイヤーを囲んで夕食を作り、食べた後はやがてバイクや旅の話などになる。
 金髪青年、イスラエル人のシャイが、グループのリーダーで、アデレードからエアーズロックまでオフロードばかりを走って行くらしい。さっき一緒に走ったが、かなりな走り屋だ。フランス人女性のシャントールは、今日は転倒、パンクと続き、もうバイク旅は懲り懲りという感じだった。アリススプリングスまで行ったら、ガン・トレインでバイクをシドニーまで送り返すと言う。彼女の意思は相当に固くなっていた。
シャイが俺に問い掛けた。
「なぜ、オーストラリアツーリングをしたいと思ったのか」
「ゲンや俺の国、日本は信号が多い国なんだ。カーブも多い。それでどこまでも続くまっすぐな道を、くる日もくる日も走りたくてここにやってきた。単純な理由だ」
「しかし、オンロードばかり走るのは面白くないだろう。色々な起伏があるオフロードを走らなければ、バイク旅の良さは分からないぜ」
と言う。こいつ、議論になると目ばかりではなく、性格もけっこう挑戦的になる男だ。
「人にはそれぞれ旅のスタイルがある。旅の目的も経験もライディングのレベルも違うのだから、俺にとってはこれが最高で十分満足なものだ」
と言い返した。こういう時は遠慮する必要などない。酒の勢いも手伝って、先ほどから気になっていたことが口をついで出た。
「シャントールがいい例だ。かわいそうに、彼女は自分の旅をしていない。あんた達の速いペースについて行くことがやっとで、おまけに今日のようなトラブルが続いて、すっかりバイク旅に嫌気がさしている。やっぱりツーリングは自分に適した速さで走らないと楽しくないし、第一危険だ。せっかく夢を抱いてバイク旅を選んだのに、彼女の旅はラリーに近いもので、むしろ苦痛になっている。あんた達には、物足りない走りかも知れないが、お互いそれぞれが違うんだ」
一気に、しかし確信を込めてそうしゃべった。そして、余計なお世話かも知れなかったが、彼女には自分の本当にやりたい旅を見付けて、楽しく走ったらどうかとアドバイスした。こんなことでバイクを嫌いになってしまい、もう乗らないと言うのは残念なことだった。

 夜もすっかり更けてしまったが、半月の夜でかなり明るかった。たきぎにする木もあまりない乾燥した場所だ。時折ディンゴ(オオカミの一種)の、オォーンという遠吠えが聞こえてくる。

オードナダッタ近くのブッシュキャンプ(タダ)
本日の走行 Erldunda ~ Oodnadtta  455・9㎞

 ・・・次回「ハッピーバースディ」に続きます

オーストラリア紀行 第5章

第5章
これが青春、赤砂のオフロード
ユララ~シドニー

  人にはそれぞれ
  旅のスタイルがある
  まっすぐ道をいくもいい
  まわり道をするのもいい
  自分のペースでいけば
  どれもこれも
  きっとおもしろい

 ★みんないい目をしていた

8月30日(木)晴時々雨 36日目

 朝は雨。日の出の写真は諦めてそのまま寝る。
 次に目覚めた時、これで旅が終わった気がした。まだ3000㎞も走らねばならないし、すでに16000㎞以上走って、すり減っている前輪も交換しなければならない。しかし、もう目的地はなかった。ただ最後まで無事に走り抜くだけ。少し気が抜けた感じだ。

 しばらくして秋元さんと石水さんが起きてきた。彼女らのサンドイッチとコーヒーをもらい朝飯。今までの雨で濡れていたものを、青空が広がった合間を見計らって、あちこちの木の枝や丸太に掛けて干す。
 午前中に出発の予定だったが、どうも空模様が思わしくなく、雲行きを見ながらバイクのメンテナンスをする。チェーンがもう随分と伸びていて、張り直した。三人のくつろいだ雰囲気での話はこの間も尽きない。聞き役に回る。
「オーストラリアに来るのは順調にことが進んでのことだったの?」
「親を説き伏せることだけでも大変」
「どうやって説得したか興味があるねえ」
「諦めないで、ひたすら押しの一手かな。そうすんなりとは行かなかったですが。会社も辞めなきゃならなかったし」
「そりゃ、けっこう踏ん切りがいったでしょうね」
「行きたい気持ちと、日本に帰って来てからの不安が引っ張りっこ」
「人よりもちょっと違った生き方をするんだからね。でもこっちを選んだ」
「思い切ってやってきて本当に良かった。私達も別々に来たんだけど、こっちに来てみれば同じような思いをして来た人がいっぱいいて、たくさんの人と知り合えたしね」
「自分の思いや夢や憧れで終わらせるのと、実現させてしまうのは、心の底でのほんのちょっとした違いなんだよね。一歩踏み出すか引っ込めるかの」
「そう。そう。お陰で何もないところでも退屈しないし、それを楽しめることが出来るようになった」

 旅のことなど幾らでも出てくる。金が有り余って土産ものを買いあさる贅沢観光とはほど遠く、みんな驚くほどの貧乏旅だ。精神的にもその様な旅行とは格段の差がある。昨夜もじゃがいもの皮をむいていると、
「前原さん、もったいなーい。じゃがいもも人参もそのまま使うと、土の匂いがしてとっても美味しいのに」
と教えられた。俺はまだまだ自然の恵みを味わい、その中にとけ込むまでには至っていなかった。年齢は俺のほうがずっと重ねているが、本当に大切なことを知っているのは彼女達の方ではないだろうか。

 『この頃の若い者は』とよく言われる。実は俺もそう思っていたことがあった。だが最近徐々に分かってきたことがある。この国で出会った日本の若者達は目が生き生きしていたし、しっかりした考えと行動力を持っていた。いつの時代でも凄い奴はいっぱいいるのだ。それに気付かないのは、自分の頭が硬直化しかかっているからだと。『この頃の云々』という暇があったら、彼らのいいところを一つでも真似ていきたいものだ。
 俺はそんな若者達との記念撮影の時はいつも、“この笑顔が日本に帰ってからも続いて欲しい”と、願わずにはいられなかった。日本での現実生活の中では生き方がつかねない、などどいう泣き言などは似合わないほど、みんな『いい目』をしていたから。

 三時過ぎようやくエンジンを始動させる。気持ちがすっかり浄化されていた。新しい旅に出る気分だ。日本での再会も約束し、また一人の旅に出発した。
 今日の走行は二四〇㎞先のエルデユンダくらいまでだろう。日没までに着ければ良いと思っていた。途中の給油では、二〇㎞/ℓの燃費。エアクリーナーの洗浄が良かったのだろう。それに極端な高速走行もしなかったし。
陽が落ちて少し経って、スチュアートHWYに出た。エルデユンダのロードハウスで夕食にする。今日は作る気がしない。ベーコンエッグのサンドイッチとコーヒー。足りないかな、とも思ったが今夜はこれでいい。
 天気もどうなるか分からないし、明日は一日中走行に徹することにしよう。気持ちとしては、先日豪雨のあとのキャンプでクリスが教えてくれた、ハイウェイの東を走っているオフロード・トラックを行きたいのだが、前タイヤのトラブルがあると日程が危うくなるので、無難にハイウェイを走ることにした。
 今日は給油の時とここで二回、アボリジニーに酒代をたかられた。ガソリン代のお釣りを求めてやってきて、ビールが欲しいという。二回とも断わったが、こういうことはよくあるのだろうか。俺は初めてだったが。

  エルデユンダ・キャラバンパーク泊(5$)
  本日の走行 Yulara ~ Erldunda  249・7㎞

・・・次回「“自分の旅”をしているか」に続きます

オーストラリア紀行 *寅さんみたい…?

寅さんみたい…?

8月29日(水) 曇・晴れ・雨  35日目

 日の出の前に目が覚めた。雨は上がって、青空も顔をのぞかせている。焚火でコーヒーを作る。彼等が出て少し経って、俺も出発した。
 スチュアートHWYを北上。エルデュングで給油。三週間前にアリスから下ってきて、ここで休んだ。軍隊のトラックが七~八台、給油に立ち寄っていた。そばに立っていた将校と話す。彼が指揮官だった。訓練で移動中だとのこと。
一六〇㎞先の小さなロードハウスで再び休憩。ここにその隊列が入ってきて、又かの指揮官と会う。左のバックミラーをくくり付けている針金のゆるみを直しているのを見て、
「任せろ」
と、№2らしい部下と彼らの工具やパーツを引っ張り出してやってくれた。その間俺は、エアエレメントを洗浄。やはり大分汚れていた。

 この部隊は、クリスチャンの関係の軍隊ということだった。
「今日の行き先はユララですか?」
「そうだ」
「家にはあまり帰れませんね。家族はどこに住んでおられるのですか?」
「メルボルンに家がある。家内も同じ軍隊で、彼女の所属はジェネラル(将軍)だ。だから会えば敬礼しなければならないんだ」
と笑っていた。別れ際、隊員用のドロップスを四つ持たせてくれ、気を付けて行けと言ってくれる。人の温かさが、ずっと心に残った。

 八五㎞先。左手にユララを見ながら通過。寄らずにそのままエアーズロックへ向かう。ロックのあるウルル・ナショナルパークへ入るには通行証がいる。五ドルで二週間有効。俺はもう三週間経っていたが、まぁいいか、このまま行こう。
勝手知ったるなんとか。料金所の一番左の通過用ゲートから、左手にそのカードを持って、手を上げながらノンストップで通過した。アボリジニーの兄ちゃんが手を上げて、OKサインを出してくれた。
 この前とは反対方向に一周してみる。登山口まで戻ると、三たびあの指揮官(ネビル・タイソン閣下)と会う。軍隊はエアーズロックへ登らされている。これも訓練の一つだとか。
 そこで二台の二五〇㏄オフロード車を見かけた。ヤマハとスズキだ。ほこりにまみれている。少し離れたところに停車すると、今ロックから下りてきた二人の日本人女性がこちらを見ている。会釈をすると近付いて来た。こちらから先に声をかけた。
「こんにちは」
「こんにちはー。すごい大きなバイクですね」
「あのオフ車はあなたたちの?」
「そうです。パースからずっとキャンプして来たんです。ほとんど砂漠とかオフロードを走りながら」
秋元眞紀さんと石水弘子さん。小柄だがすっかり日に焼けてたくましく、目が輝いているのがいい。
「あのー、独身ですか?」
「いや、結婚してます。かあちゃんがひとりと子供が三人。どうしてですか?」
「寅さんみたいな雰囲気だったから。ついそうじゃないかなと思って」
嬉しいことを言ってくれる。俺は渥美清扮する『寅さん』が大好きだ。ドジで早とちりで短気だが、人情味がある。気ままな一人旅でそう見られたのかも知れないが、開放された気分で旅をしていると、寅さんみたいな人情にあふれる男になれるのだろうか。それなら最高なのだが。
 もう少しここにいるという彼女らと別れ、俺は撮影のため、サンセットビュー・ポイントの辺りまで戻り、この前失敗した分まで取り戻そうとあれこれやり始めた。しかし、アイデアに乏しく、どうも色々な角度からやってみることができない。写真技術も少しくらい勉強しておかんと、せっかくのポイントも台無しだ。

 間もなく一台の車が反対側に止まり、二人の若者が降りてきた。さっき立ち寄ったレインジャーセンターで出会った日本人男性達だった。
「すいませーん。悪いけど、シャッターを押してもらえますか?」
これ幸いとカメラマン役を押し付け、一〇数枚撮ってもらった。彼らは札幌から来た工藤悟君と安本充君。二人共学生で、珍しくワーキングホリデービザではなく、夏休みを利用して観光ビザで来たと言う。
 先ほどの彼女達も戻ってきて、皆で記念撮影をしていると、空模様があやしくなる。慌ただしく住所交換をして、合羽を着込んだ。
 車の彼ら二人は、そのままアリススプリングスに向かった。一日に一二〇〇㎞程も走るハードスケジュールで、夜は車で寝るとか。
「その根性、気に入った!」
彼女達はユララへ帰ったが、俺は以前うまくいかなかったサンセットの写真撮影のためここに残った。だが雲に邪魔されて今回もアウト。諦めてユララへ戻った。
レセプションでキャンプの申し込み。
「テントサイトを利用したいのですが」
「この用紙へ書き込んで下さい。一泊八ドルです。あとこの注意事項を読んでください」
受付の美人女性は、三週間前と同じ人だった。
「はい、八ドル。俺は分かりますから」
「確か以前来られましたね。その顔、よく覚えていますよ」
彼女も覚えていてくれた。これだけで、もう嬉しいものだ。自分のテリトリー(縄張り)に帰ってきたような感覚になる。

 秋元さんと石水さんのテントを捜す。驚いた。女性にしては(と言ったら失礼か)立派すぎるほどのシロモノ。使い込まれたグランドシートを張った前室付き。相当な経験の蓄積が伺える。聞いてみると、先に帰国した遠山さんという日本人男性からのお下がりだとか。通称“金さん”と呼ばれるその男性は、あの時期オーストラリアを走った人たちの間では、かなりの有名人だった、とは後で聞いた話。
 石水さんは今日が二四歳の誕生日。彼女が手帳に書いてくれた『今日地球の上を歩きました』という一文が、エアーズロックの頂上での感動を思い起こさせてくれた。お祝いにワインを差し入れた。ろうそくの明かりでささやかなパーティが始まる。
 今日は朝コーヒーを一杯飲んだきり何も腹に入れてなかった。前原スペシャルになったステーキと肉野菜の煮物を腹一杯食らう。
 久しぶりにシャワーを浴びた。思えばフリマントルの武田荘で朝のジョギングのあと浴びて以来、ずっと頭も体も洗っていなかった。石鹸の泡が立たない。それでも数えてみるとまだ六日ぶり。内陸のデザート(砂漠)など走っている人は、一週間や二週間洗わないことはザラだと言う。それに比べれば綺麗なもんだ。
 深夜まで延々と旅やその他の話しなどがはずみ、気が付けば午前三時。さすがにあくびも出てきて、眠ることにした。
 ここは落ち着ける場所だ。またいつか家族を連れてやって来たいと思う。もちろんここでキャンプだ。そして、その時は皆の体をロープで結び、エアーズロックへ登ろう。相変わらず、降ったり止んだりの雨。

    ユララ・テントサイト泊(8$)
    本日の走行 Kulgera~ Yulara  376・5㎞

*** *** *** *** ***  *** *** *** *** ***  
  もう一冊の日記帳⑤

 8月23日 午後七時半 サザンクロスという
町にいると電話があった。お肉を買ってテントの
そばでこれから焼くとのこと。現在六時半と言って
いましたね。「女遊びしてないの?」の問いに笑いながら
「してない、してない」四〇%う・た・が・いの気持ち。

 8月24日 電話!未佳が先に出るが、すぐに代わる。
大雨の中、向こうのライダー達と、テントを張ることに
なったとのこと。明日、再びエアーズロックへ行くと
話してましたね。貴方が行って以来、宏光が全く電話に
でないので、気になったのか「宏光、元気か?」って。
急いで代わったけれど、「もしもし」と言っただけで
切れてしまったみたい。聞こえましたか?
雨のせいか、貴方の声、聞こえにくかったです。
明日、岡部さん、山中さん、池西さんと花博へ行く
予定にしています。

*** *** *** *** ***  *** *** *** *** *** 

オーストラリア紀行 *ヤバイ!走る…

ヤバイ!走る避雷針

8月28日(火)曇時々雨後豪雨  34日目

 昨夜はあんなに晴れていたのに、夜中強風と雨で目を覚まされた。フライシートがぶっ飛びそうなくらい強く、テントも大揺れ。外に出てフライシートを張り直す。
 朝も相変わらず続いている雨の中、準備をして出発したけれども、バイクの調子が良くない。昨日走ったオフロードで、土ぼこりがエアフィルターに大量に付いたのかも知れない。向かい風の影響もあるだろう。とにかく一〇〇㎞/hを越えて走らせることができない。バイクに遠慮して、いたわりながら走ることにした。

 今日は三つのすごいことに出くわした。

 一つ目は、スチュアートHWYを四三〇㎞程北に走ったところで、リアカーを引く男に出会ったこと。追い越しざま振り向くと、日本人みたいだった。バイクを止めて話しかけた。
「こんにちは。すごいですね。どこまでですか」
「アデレードからダーウィンまでです」
日本語が通じた。
「三〇〇〇キロはあるでしょう」
「ありますね」
「どれくらいの予定ですか?」
「三カ月をみています」
いい顔をしていた。修行僧か何かのような顔と目だ。歳は三〇前後といったところか。
「もう何年も前に『田吾作号』というリアカーを引っ張って、ナラボー平原を横断した大学生がいたですが、その方とは関係ないですよね」
「田吾作号?知りません」
下手にチャラチャラ質問できないような、そんなひたむきな雰囲気があった。
 短い時間で別れたが、ああいう顔になりたいものだ、とその後ずっと考えながら走った。リアカーだと、一日四~五〇キロほどではないのかな?挑戦する顔とは、男も女も美しいものだ。

 二つ目は身の毛がよだった。五時過ぎ、九〇㎞/hで走っていると、それまでうっすらと青空も見えていたのに、左前方に黒雲が出現。稲妻が走っている。凄い速さで右方向(東方)に移動している。このままでは、もろにぶつかってしまうのではないか。
「ヤバイ!!こんなところでバイクに落雷でもしたら一コロ、即死だ。シャレにならん!」
ゴルフや野球をしていて打たれて死んだ人がいると聞いたことがある。こんな野原のど真ん中では、バイクなどここに落ちてくれといわんばかり。まるで走る避雷針だ。ずっと向かい風で、バイクの調子は良くなかったが、急いでスロットルを開けた。
「逃げ切らねば!頼む、走ってくれ!」
真っ黒な雲と稲光が行く手に迫ってきた。なんとか振り切ろうと必死で飛ばす。スピードメーターは一五〇㎞/hを超えようとしている。XTも危険が迫っていることを察しているように、懸命に走ってくれる。しかし、すぐ雨につかまってしまった。ドシャ降りだ。濡れた路面にすり減った前タイヤ、道路上の牛の群れ、すっかり暗くなって何が飛び出すか分からない危険な状態だったが、そんなことは小さなことに思えた。
 すぐ近くを光が走る。恐怖が頂点に達し、体がこわばっているのが分かった。一秒先がわからない、死の恐怖が走った。体を伏せ、フルスロットルで飛ばす。トリップメーターから一番近くのロードハウスまでの距離を必死に計算する。
「あと一五キロ。六~七分持ってくれ!」
祈るような必死な気持ち。やっと雨の向こうに小さく光る明かりが見えた。ロードハウスのガソリンスタンドに飛び込んだ時、ようやく助かったと思った。

 バイクから下り、ほっとしたら急に力が抜けた。手足ががくがくする。煙草をふかしながら一息付いて、バーへ入った。皆の顔が一斉にこちらを向く。雨の日の格好の凄さは前にも書いたが、今日はおそらくその濡れネズミ同然だったからに違いない。
 視線が合えば首を一、二回横に振って微笑んでくれる。これがこの国の野郎達の親愛を表わすジェスチャーだ。
「グダイ!」
適当に挨拶を交わしながら、カウンターでビールを注文。椅子などなく立ち飲み。こういう雰囲気は好きだ。だんだん平静さが戻ってきた。
 ここから三つ目のことが始まった。隣にいたサイドカー付のBMWの夫婦が話しかけてきて、ビールも二本三本と進む。
「今夜はまだ走るのか、ここに泊まるのか」
「まだ決めてない」
「もし泊まるのならキャンプしないか」
「この大雨の中でか?」
「大丈夫だ。小降りになるさ」
今夜こそキャンプなど考えてもいなかった。ホンマかいなと思ったが、さっきの雷を体験したらもう何でも大したことはない、と思えるようになっていた。
「他にも二人、ライダーがいるんだ」
思わぬ誘いに、未知の体験、恐いもの見たさの虫も騒ぎ出した。
「OK!」
親指を立てて、そう返事した。外に出る。が、さっきよりも更にひどく、どしゃぶりだった。BMWの旦那、クリスが下見に行って帰ってきた。夕食でもしながら様子を見ようということになり、俺は荷を解くのが面倒だったので、勧められるままに、彼らのパンやら肉を食わせてもらう。その代わりにビールをおごる。
「ヒロ、こいつはとても“ホット”だぜ」
と言って笑いながら出してくれたのは、瓶漬けになった唐辛子入りの大きならっきょう(玉葱?)だった。彼らの期待に反して、その辛さは俺にはちょうど良く、ピリカラの味は今も口に残っている。

 やがて雨も小降りになったので、XTと三台のBMWは出発し、HWYを北に五分ほど走った後、ブッシュの中に入って行った。低い丈の草の間を細い道が続いている。さっきの豪雨でぬかるんでいて、前輪がズルッとすべることがしばしば。気を抜くと即転倒だ。彼らはこういう道には慣れているのか、かなりなスピードで走る。用心しながらも、遅れないようについて行った。
 しばらくして、やや広くなった草のない空き地に出た。驚いたことに太い丸太が燃えていた。一瞬落雷でもあったのかと思ったが、さっきの下見の時、クリスがやったとのこと。あの豪雨の中で一体どうやって火を付けたのか。ちょっと信じ難いことだった。クリスは笑顔は優しいが、体つきはプロレスラーのディック・マードック(やや専門的な人名?)みたいな男で、オージーの典型といったところか。

 皆それぞれにテントを張り、五mほど離れた火のそばに集まってきた。雨はもうほとんど上がっていたが、さすがにあの雨で濡れた丸太は、炎に勢いがなくなって消えかけていた。ジョンという男が、自分のバイクのガソリンコックからとったガソリンをカップに入れて、素早く火にかけた。一瞬にして、ブォーッと炎が燃え上がる。
「なるほど、こうやってつけたのか。豪快だな」
不思議でならなかったが、クリスが太い丸太に火をつけた方法が分かった。酒を飲みながら話す。彼らは色々な情報をくれた。
「ヒロ、エアーズロックからの帰りには、ここの南からHWYを離れて左に折れて行け。オフロードのすばらしい体験が出来る。山脈の中腹を走るワインディングはきっと気に入るはずだ」
クリスが教えてくれる。奥さんのサリーも、
「本当にきれいなところよ。私もすごく気に入っているし、是非楽しんで走って欲しいわ」
と、勧めてくれた。だが俺は、行きたい気持ちと、よそうという気持ちが半々だった。つるつるになり始めているフロントタイヤと残日数が気になっていたからだ。
 ひとしきり話し、それぞれに寝る。今あちこちからいびきの大合唱だ。遠くでは牛の鳴き声。焚火の木が崩れる音と、時々テントに落ちる雨の音が、妙に心地良く響いてくる。
エアーズロックまでただ写真を撮りに行くだけのつもりだったが、旅の終わりになって、意外な盛り上がりになってきた。

  カルゲラ近くのブッシュ泊(タダ)
  本日の走行 Glendambo  ~ Kulgera  675・5㎞

…次回「寅さんみたい…?」に続きます