“自分の旅”をしているか
8月31日(金 快晴 37日目
雨は降らなかったが、フライシートの内側は露でびしょ濡れ。裏返して乾かしながら、バイクのチェック。
まだ暗いが、近くの明りで何とか見える。日の出と同時に出発した。
このまえ雷にあったカルゲラのロードハウスまで七五㎞。四〇分ほどで着いた。給油をした後朝食。ベーコンエッグのトーストにコーヒー。外食はすっかり、このパターンにはまってしまった。
俺は日本でも、気に入ったメニューがあると、しばらくそれを食い続ける。サバ煮定食やジンギスカン定食、ギョウザなど飽きる一歩手前まで食ってきた。
そこから更に一〇〇㎞程走ると、前方二㎞右側に白い点が見え始めた。やがて人が歩いているのだと分かる。うしろにリヤカーが見えた。
「おっ、彼だ!」
先日の出会いが懐かしく蘇った。バイクを止めて、挨拶する。嶌田(しまだ)和雄氏。二六歳。
一日の歩行距離が想像通り、四〇~五〇㎞だった。およそ二〇〇㎞毎に点在している町を四日かけて進む。食料は一五日分仕入れておくそうだ。
「カルゲラまではどのくらいですか?」
彼が聞いた。
「一〇〇㎞ぐらい。一時間前そこで飯を食ってきました」
と答えると
「一時間前ですか。はぁー」
とため息をついた。彼にすれば二日以上の距離なのだ。一〇〇〇㎞で一足の靴を履き潰す。アシックスを三足用意している。テントはハイウェイから外れて、ブッシュの木の下にリヤカーを隠して張る。人間が一番恐いから、と言うのは少し解かる気がした。
「これはどれくらいの費用がかかっているんですか?見当もつかないんですが」
「リヤカーですか?これは日本製で、二本のスペアータイヤが付いて三九〇〇〇円。送る船賃が一四~一五万かかりました」
「じゃあ輸送代の方がずいぶん高くついているわけですね」
「そういうことになりますね」
とつとつと話す彼の人柄と彼のやっていることに魅かれて、あれこれと聞いてしまった。俺とは全くタイプが違う人間だった。
記念撮影をして住所交換をする。俺が京都なのを知って、
「バイクでオーストラリアツーリングをした京都の三栖という人を知っていますよ」
と言う。
「えーっ、本当ですか。三栖さんの紹介で俺はこのバイクを手に入れたんですよ」
「以前勤めていた東京の石井スポーツに、アウトバックを走るからとグッズを買いに来たことがあり、その時知ったんです。話しはしなかったですが」
人の縁とはこういうつながりをするものなのか。
別れ際、
「縦断の成功を祈っています」
と言うと、
「それじゃ気を付けて下さい。さいなら」
そう言うと、くるっと向きを変え、またリヤカーを引いて歩きだした。その素朴さがよけいに印象を強くし、心に残った。
昨夜はスチュアートHWYを一路下ることにしていた。だが『チャンドラー』という看板を見た時、急に気が変わった。ここから左に行けばオフロード・トラック(砂漠の中の未舗装の小路)に入って行けると知っていた。
さっきの嶌田さんの、文字通り地に足がついた旅と、三栖さんの名前も影響したのだろうか。やはり旅の終わりにオフロードを走ってみたくなり、左に折れた。
しかし、最初の三〇㎞はほとんどバラスの、いくらでもパンクしてくださいと言わんばかりの砂利道。時々滑らかになったかな、と思ってスピードを上げると砂地になったりして、重い荷物を積んだXT600では遊ぶ余裕はなかった。
五〇㎞ほど走ったところで、急に深い砂の轍の中に入り込んでしまい、ハンドルを取られ大転倒。
「やった!」
スピードは八〇㎞/hぐらい出ていた。前輪が滑り始めた時、足をついて転倒を避けようとしたのが悪かった。走行中の転倒は、初めてだった。幸い指を挟んだ以外は怪我もなく、外見上はバイクも壊れていない。荷物を外し、バイクを引き起こした後エンジンをかけてみる。キック三〇回ほどでかかった。ほっとして、煙草を吸いながら、事故現場の記念撮影をすることにした。
あとで気が付いたのだが、オフロードパンツの膝が擦り切れていた。しかしニーパッドを入れていたので、大切な膝は無事だった。
こんなに車が来ないところへ入ったのも珍しい。四~五時間、一台にも出遭わなかった。左手に白い小さな小山が見えてきた。それがおっぱいに似ていて、思わず道からそれて撮影に向かった。どうせこんなところを走るになら、もっと楽しまねば損だと思い、あちこちでカメラを構える。それにしても山までおっぱいに見えるとは、性欲が溜まりまくっているのかな。禁欲生活がずいぶん長い。
四時半、オードナダッタという小さな町に着く。このオフロード・トラックはこの町の名前が付いているのかと、はじめて知った。古いひなびたスタンドで給油。前タイヤが気になる。台湾製は質が悪く、五〇〇〇㎞も持てば良いほうだと聞かされていたが、こいつは何と一六〇〇〇㎞も走ってくれた。さすがにもう山が無い。確実に交換ができるアデレードまでは一〇〇〇㎞以上もある。
こいつは困ったもんだと思ってふと見上げた看板に、『TYRE』の文字。まさかこんな片田舎に、と思ったが早速訪ねてみると、
「ウチには車用しかないが、町外れにあるロードハウスなら、モトクロスタイヤはあるかも知れない」
とのこと。喜んですぐ走る。
「あった!」
サイズもOK.。ここのオーナーがモトクロスバイクが好きで、自分用に置いているものだった。
「ハードとソフト、どちらもあるがどっちがいいか?」
「どう違うのか?いや、どっちが安い?」
「ハードが七五、ソフトが五〇だ」
「じゃ、ソフトの方。もう残りの距離も僅かだし、ソフトでもシドニーまで十分行けるだろうな」
「もちろんだ。交換はどうする?工費は二〇だが」
「自分でやるからいい」
「じゃあ、そこの修理工場を使ったらいい」
五〇ドル(六〇〇〇円弱)と引き換えにタイヤをもらった。ダンロップ、日本製ではないか。こりゃいい。そこのロードハウスの所有になっている車の修理工場にバイクを持ち込んだ。
このロードハウスの横、工場の前でタイヤのパンクを修理していた三人のライダーに会った。一人は若い日本人。一人は金髪女性。もう一人は、金髪で青い目をした二〇代半ばの男。おもしろい組み合わせだ。
俺は一時間ほどかけて何とかやり上げた。しかし、もう陽はほとんど落ちかけている。
「今夜はどうするんだ?」
金髪男が聞いてきた。
「ここでテントを張ることになりそうだ」
「一緒にどうだ?」
「いいとも。楽しくなりそうだ」
彼らと野宿をすることに話がまとまった。町から少し走って、脇道にそれた所にテントを張る。広く見渡せ、地面に小石も少なく気分最高の場所だ。
日本人男性田端功氏(18歳)が、ずっと英語を使うよう努力しているので、俺もそれに合わせ、二人が話す時も英語で通した。ファイヤーを囲んで夕食を作り、食べた後はやがてバイクや旅の話などになる。
金髪青年、イスラエル人のシャイが、グループのリーダーで、アデレードからエアーズロックまでオフロードばかりを走って行くらしい。さっき一緒に走ったが、かなりな走り屋だ。フランス人女性のシャントールは、今日は転倒、パンクと続き、もうバイク旅は懲り懲りという感じだった。アリススプリングスまで行ったら、ガン・トレインでバイクをシドニーまで送り返すと言う。彼女の意思は相当に固くなっていた。
シャイが俺に問い掛けた。
「なぜ、オーストラリアツーリングをしたいと思ったのか」
「ゲンや俺の国、日本は信号が多い国なんだ。カーブも多い。それでどこまでも続くまっすぐな道を、くる日もくる日も走りたくてここにやってきた。単純な理由だ」
「しかし、オンロードばかり走るのは面白くないだろう。色々な起伏があるオフロードを走らなければ、バイク旅の良さは分からないぜ」
と言う。こいつ、議論になると目ばかりではなく、性格もけっこう挑戦的になる男だ。
「人にはそれぞれ旅のスタイルがある。旅の目的も経験もライディングのレベルも違うのだから、俺にとってはこれが最高で十分満足なものだ」
と言い返した。こういう時は遠慮する必要などない。酒の勢いも手伝って、先ほどから気になっていたことが口をついで出た。
「シャントールがいい例だ。かわいそうに、彼女は自分の旅をしていない。あんた達の速いペースについて行くことがやっとで、おまけに今日のようなトラブルが続いて、すっかりバイク旅に嫌気がさしている。やっぱりツーリングは自分に適した速さで走らないと楽しくないし、第一危険だ。せっかく夢を抱いてバイク旅を選んだのに、彼女の旅はラリーに近いもので、むしろ苦痛になっている。あんた達には、物足りない走りかも知れないが、お互いそれぞれが違うんだ」
一気に、しかし確信を込めてそうしゃべった。そして、余計なお世話かも知れなかったが、彼女には自分の本当にやりたい旅を見付けて、楽しく走ったらどうかとアドバイスした。こんなことでバイクを嫌いになってしまい、もう乗らないと言うのは残念なことだった。
夜もすっかり更けてしまったが、半月の夜でかなり明るかった。たきぎにする木もあまりない乾燥した場所だ。時折ディンゴ(オオカミの一種)の、オォーンという遠吠えが聞こえてくる。
オードナダッタ近くのブッシュキャンプ(タダ)
本日の走行 Erldunda ~ Oodnadtta 455・9㎞
・・・次回「ハッピーバースディ」に続きます