オーストラリア紀行~退職そして日本一周
★ 退職そして日本一周
「どうもお世話になりました」
7年前、ずっと仲間と一緒にやってきた会社を辞めた。会社の方針と自分の目指すものとの間に出来たズレがどうしても埋められず、苦悩の末に決断したことだ。何もかも失ったようで、正直すごく落ち込んでしまった。モーレツ社員で、いつも”会社の為に”としか考えない全くの仕事バカであったから、他に何をしようということもなく、これからどうしたものかと迷っていた。既に結婚していたし、子供も1歳になっていた。生活があった。食う手立てを考えなければならなかった。
が、その前にどうしてもやってみたいことが突然にできた。ある日街を歩いていて、ふと目にとまったバイクショップにあった大型のオートバイ。光って見えた。中に入り触れてみる。十数年ぶりの懐かしいシートの感覚が甦ってきた。高校や大学の頃は、足がわりで友達のを借りてよく乗ったものだ。
だが車の免許を取ってからは全く乗ることがなくなった。時間の経過の中で、バイクは車に乗るまでのつなぎで、俺の心からはすでに遠いものとなっていた。むしろ『バイクは危険なもの』としか映ってなかったはずなのに。
しかし、いま、目の前にある大型バイクを触った時感じたこのドキドキ感は何なんだ。今まで何か大切なものを忘れていたような気がする。固く閉じられていた殻が音を立てて崩れ、気持ちはまたたく間に青春時代にワープしてしまった。
「ナナハンで日本一周したい!」
中学か高校の頃、誰でも一度は憧れるような夢が俺にもあった。今なら実現できるかも知れない。考えてみれば、これは絶好のチャンスではないか。これなくして、俺の再出発はありえない。これを新たな人生のスタートにしよう。単純な思考回路は、すぐに結論を引き出してくれた。
家内にはタイミングをみて、話をすることにした。結婚以来、我が家の決定権はずっと俺にあったし、家内はいつもそれをフォローしてきてくれた。それが結婚前に話し合って決めた我が家の役割分担だった。それでうまく行っていた。しかし、今回だけは状況が違う。俺は今失業中なのだ。さすがに相手の顔色が気になった。夕食後のテーブルで、次のように切りだしたのを覚えている。
「次の仕事を決める前に、人生をじっくり考えてみたい。バイクで日本一周して来たいから、すまんけどちょっとの間、宏光を連れて実家に帰っていてくれんか」
「どのくらい?」
「50日ぐらいになる」
「わかった」
家内は落ち着いてそう言い、
「お父さんの選んだことだから間違いないと思う。すっきりして帰って来れたらまた頑張って」
励ますような口調で言葉を続けてくれた。身も心も賭けていた会社を辞めて、目標もなく落ち込んで暗い顔をしていた俺には、この一言は強烈に残った。
いくら大義名分を立ててみても、女房子供を残して、無職のままひとり旅に出るということは、やっぱり普通ではない。その後ろめたさと感謝の気持ちが入り混じった複雑な気持ちになった。彼女の気持ちに報いるためにも、俺は必ず無事に帰らなければならなかった。
しかし、10年以上もオートバイなんぞに股がったことがなかったし、排気量も250ccまでしか経験がなかった。宿泊はおろか日帰りツーリングさえしたことはなかった。限定制度のできる前に取った二輪免許なので(もちろんそれで車も運転できると言うほど昔ではなかったが)、ライディングテクニックやメンテナンスの知識などあろうはずがない。ないないづくしの俺にとって、これは十分すぎるほどの冒険だった。
完全装備のツーリング用大型バイク、750cc。総重量は250kgをはるかに越える。ひどい腰痛で毎日病院に通っていた俺には、倒したら引き起こしもできるかどうかわからなかった。しかも、いきなり50日というロングツーリング。不安は売りたいほどあった。だが、出発を遅らせるほどの経済的余裕はなかった。
こうして出かけた無謀とも思える旅だったが、全く知らなかった新しい世界に完全に引き込まれた。ライダー同志交すピースサイン。ユースホステルでの語らい。宿が決まらないまま見る水平線に落ちる夕日。駅のベンチでの夜明かし。多くの人との出会い。様々な生き方を見た。北海道の富良野、釧路湿原。日本にもこんな自然があるのかと驚いた。バイクの上からでは、見える景色も風の感じも、車の時とは全く違っていた。全てが新鮮で心がときめいた。普通なら腹の立つマシントラブルさえも新鮮な感動だった。何よりも、心に押し込めて出してはいけないとしていた喜怒哀楽の感情が、かなり素直に出せるようになった喜びが大きかった。
…次回 「オーストラリアを走りたい」へ続きます。お楽しみに。
