前原弘昌のバイク旅

オーストラリア紀行 第4章

第4章  
冬の旅空、寅さんはゆく
ナラボー~再びエアーズロック
 
  どしゃぶり雨でも  走れたらうれしい
   晴れたら晴れたで  うれしくなる
   バイクで旅ができる  それだけで十分だ

★ “油断”コントロール

8月23日 (木) 快晴風冷たし  29日目
 朝早くに目が覚めてしまった。食堂でルートを検討しているとオーナーの武田正俊さんが起きてこられた。36歳。小柄だが実に均整のとれた身体だ。にこやかで謙虚な姿勢に好感が持たれる。
 武田さんは以前は体操の選手で、現在はトライアスロンに挑戦中だとか。月一度くらいの割りで開催されているマラソン大会にはずっと参加していて、成績もかなり優秀だと宿泊者達から聞いていた。それで朝夕のランニングはずっと続けていて、朝練は軽いとのことだったので付き合わせてもらうことにした。俺はここに来て煙草の本数も増えているし、ちょっと不安だったが、岬の灯台を回って帰ってくる5kmのコースを話をしながら走った。
「スポーツでのマインドコントロールには、以前からすごく興味を持っていたんです」
「そうですか。ほとんどのスポーツで使われていますしね」
「そういう関係の本は何冊か読んだことがあるのですが、実際にそういう仕事をしておられる方とお会い出来て嬉しいです」
「いやこちらこそ。身体を気持ち良く動かす感覚を思い出すことが出来ました。武田さんは、トライアスロンにも出られると聞いたんですが」
「ここは恵まれていましてね、水泳などは地元のプールで、一流のアスリートが指導してくれるんです。お金は3~400円ぐらいですかね」
「えーっ、それはいいですねえ。でもトライアスロンて大変なんでしょう?」
「いえ、こちらのミニコースは、水泳が600m、自転車20km、ラン6kmと、ずいぶんやり易いんです」
「じゃ、初心者には最適ですね。話を聞いているとやりたくなりますよ」
「是非またやりにいらしてください」
 どうしてもスポーツや心理学に関する話が多くなる。1週間後に開かれるロードレースには、武田荘の宿泊者も出るとのことで、茂木さんも別のコースで1人練習していた。
 帰国後石川さんが手紙で結果を知らせてくれた。距離は10km。武田さん、茂木さんは自己新記録。あの柔軟の池田さんは走るつもりはなかったのに突然走り、完走した。しかも裸足で。彼は『靴を履いている』というイメージを持って走ったところ、血豆さえ出来なかったとか。初心者としては驚くべき応用力に思わず歓声をあげてしまった。
 武田さんからは、3ヶ月後便りを頂いた。
『必要な情報をインプットし、ポジティブな気分でスタートラインにつけば、必ず良い結果が出るという事も分かりました。9月30日には20kmで今まで自分が壁と思っていた70分を切ることができました。年を重ねても記録は向上する。ブレーキをかけているのは年齢ではなく、その人本人の潜在意識に内在する、と思えるようになりました』
 と。この時も自分のこと以上に嬉しかった。
 わずか一夜の滞在だったが、居心地が良く、随分と思い出が残った場所になった。
 積み込みを済ませ、記念撮影をして、昼過ぎ皆に送られて出発。途中食料やらパンクの瞬間修理剤を仕入れた。これはチューブには余り良くないらしいが、砂地などでバイクを倒して面倒な作業をしなくて良い手軽さは、使う使わないは別にして、持っているだけで安心感がある。
 再びパースへ戻って、期待に胸を膨らませながらスロットルを開けていく。ここから一路東へ延びているグレート・イースタンHWYに入るときだった。大型トラックの少し後ろを走っていたので、大きな合流地点で信号を見落としてしまっていた。気が付いたときには、右前20m程のところを車が数台右折してきていた。
「しまった!!」
 急ブレーキ。リアタイヤが10m位スリップして流れ、カウンターをあてるとまた逆サイドに流れ、ハンドルを必死で左右に切り、カウンターをあてながらバランスを保とうとした。暴れ馬に乗って、ロデオをしているみたいだった。完全に事故った、と思ったが奇跡的にコケず、大きな三叉路交差点の左側に停車させることができた。
「あー、びっくりした」
 交感神経が思いっきり働いて、心臓の鼓動がすごい。手足も震えている。100km/hは出ていたから、コケたらバイクも身体もただでは済まなかったろう。車はこちらを見ながら、徐行スピードで通り過ぎていく。パトカーはいない。
 ダートでの練習は、休みの日たまに遊び半分でしていたくらいだが、それでもその経験はここでずいぶん役立ってくれた。そして痛感したことは、『絶対に諦めてはいけない』ということ。あきらめない限り、身体は全能力を出して対応してくれる。人生も同じに違いない。その後は、信号には特に気を払った。
 油断はできない。ここでポックリ、と思うとぞっとする。日本に連絡が行き、家内が血相を変えて飛んでくる。しかし、俺にはそれがもう分からない。こんな迷惑のかけ方はない。これは日本でも同じことだが、今は特に他国を1人で旅しているのだ。素人の俺にとってこれは1つの冒険なのだ。生きて帰らねば。待ってる人がいてくれる。油断とは油が切れることらしい。心も機械も油断大敵、というところか。
 が、パースに来るまで4000km程、まともな信号に出合っていなかったし、この先も1000km以上の単位で信号はなかったので、『注意1秒』を続けるのは結構しんどく、いつの間にかこの気は、緩みかけていた気を引き締める人生論に変わってしまっていた。
 昼食は昨朝出掛ける時にロックマン夫人が作ってくれたサンドイッチを頬張った。地図を眺めてみる。時刻は3時。どうもカルグーリまでは行けそうにない。あと550km程もある。ずっと手前に、サザン・クロスという町があった。そこまでなら300km。町の名前もズバリ南十字星。いいではないか。そこまで行こうと思い、また走り出す。日中も風が冷たかったが、夕日が落ちると更に冷たさ、寒さが増してくる。冬というのを思い出した。
 6時半到着。日本へ電話を掛けて、家内に無事東へ向かっていることを知らせる。もうすぐ末娘の由佳の1歳の誕生日だ。その日はまだオーストラリアを走っている。祝いは、帰ってからしようということになった。
 町外れのキャラバンパークの芝生にテントを張る。ここは3ドルだが、テントサイトは最高。すぐ近くの洗面所の蛍光灯で、結構明るい。芝も綺麗に整っていて気持ち良いし、食器の油を拭う砂もある。飯を炊き、今日買った肉を3枚焼く。酒を買いに町のバーへ行き、1番安いワインを1本手に入れた。酔って身体があたたまればそれでよい。トイレもシャワーもすぐ近くで、その明かりで十分明るいディナータイムが楽しめた。星もきれいだ。

サザンクロス・キャラバンパーク泊(3$)
本日の走行 Fremantle ~ Southern Cross 393.3km

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オーストラリア紀行*メシに…

★メシにつられて武田荘へ
8月22日 (水) 快晴  28日目
 お世話になったロックマン氏宅をあとにする。昨日の約束でモーターサイクルショップへ向かった。9時前から10時ちょっと過ぎまででチャーリーが仕上げてくれた。交換して、もはや中古品となったタイヤ、チェーン、スプロケットは共に持ち運ぶことにした。随分な重量増になるが、もうこれ以上新品と交換は出来ない。出来れば最後まで使いたくはないが…。248.6ドル。
 昨日電話でフリマントルの武田荘にいる石川美樹さんに連絡し、フィッシュマーケットへ連れていってもらうことになっていた。日本人旅行者専用という民宿、武田荘があることを知ったのは、オーストラリアに来て旅を始めてからだった。ガイドブックなどには載っていたりもするらしいが見ていなかった。
 西海岸では、蟹やエビがいっぱい捕れる、と色々な人達から聞いていたのだが、いまだにその様な場所に出くわしてない。こうなったら最後の手段で、買ってでも食べてやろうと思った訳だ。
 フリマントルへはパースから南へ20分も走れば着ける。約束の11時きっかりに、待ち合わせ場所のフリマントル駅前に到着。ほどなく彼女は茂木栄さん、池田和史さんという2人の武田荘の住人だという青年と共に来てくれた。石川さんは、ブルームで別れた後、ここへ帰ってきたとのことで、あのとき一緒だった東海林さんは、昨日日本へ帰ったとのこと。
 海べりのマーケットで渡りガニと、何か分からないが蟹の足、それにタコを仕入れる。俺は浜辺で湯がいて食えればいいと思っていたのだが、
「御飯はたくさんある」
 との言葉につられ武田荘へまでのこのこついて来てしまった。日本的な落ち着きと、オーストラリアののんびりしたところをミックスさせたような快適な住居は、ついつい長居をしたくなる気分にさせてしまう。3~4週間の滞在はザラ、数ヶ月にまで及ぶ人もいるらしい。パースもフリマントルも海が近くて綺麗な所だし、その気持ちは分かる。
 今日は宿泊者もあまりいないとのことで、ちょうど昼時でもあり、台所を占領し、塩ゆでしたカニやタコを4人で食いまくる。何だか留守宅へ上がって、したい放題やっているような後ろめたさに似たものもあったが、冷蔵庫からビールが取り出されると、おしゃべりにも一段と花が咲き、腰もすっかり落ち着いた。
「これも縁。話題ついでに今夜はここに泊まっていくかー」
 という気になってしまった。
 いつからか心理学の話になってしまう。50円玉を持ち出してきて、みんな振子の練習をやり始める。オーナーの武田さんが帰ってこられたときには、ヒューマン・ブリッジまでやってしまい、結構ワンパターンな人間である。最初はびっくりしても、理屈が分かればみんな納得してくれる。
 夜は、小学校の頃から身体が90度までしか曲がらないという池田さんに、筋肉を伸ばす方法を教えたところ、10分ほどで手が床まで届くようになった。彼はすっかり自信がついて、あれ程嫌いだと言っていた柔軟をずっと自分で練習している。掌もつくようになったとか。今日は彼の25歳の誕生日だそうな。ささやかなバースデイプレゼントにはなったかな?
 茂木さんはここでホンダXLV750を手に入れ、これから3ヶ月かけて一周に出発するそうだ。その初々しさが良かった。色々教えて欲しいと言われたのだが、俺の知っていることはごく僅か、期待に応えられたかどうかは分からない。
 明日からはもう後半戦、といったところか。独り旅がまた始まる。

フリマントル・武田荘泊(15$)
本日の走行 Perth ~ Fremantle 33.0km

もう1冊の日記帳(4)

8月20日
 午後7時10分 期待通りにTELあり。パースに到着とのこと。よく聞こえなかったけれど、『写真の人』とかなんとかいう人のところへ泊めてもらうと言っていた。女性かな、男性かな?聞いてやろうと思ったのに、切れてしまう……。

……次回「“油断”コントロール」へ続きます

*家族写真と妻の髪

★家族写真と妻の髪
8月21日 (火) 晴れ  27日目
 パースに滞在。ロバートは、今小麦の害虫を調べる仕事をしているので、今日は南部のアルバニーへ出張すると言う。農家の人を訪ねて、話をするらしい。
 7時過ぎに朝食を済ませ、彼について出掛けた。彼の職場である農業局の敷地にある花を見せて、説明してくれた。
 一口にユーカリと言っても、その種類は200種以上もあるらしく、コアラの餌になるのは、その中のほんの僅かなものらしい。オーストラリアのナショナルカラー(国の色)がグリーンとゴールド(ほとんど黄色)だということも、彼に教わった。とにかく植物についてはプロフェッショナルなのですごく詳しい。
 一旦家まで送ってきてもらい、彼は自転車で再出勤。
「今夜は帰れないが、何泊でもしていけ」
 と言って元気にペダルをこいでいった。

 初めてジャケットを洗濯する。もう油とほこりまみれだった。左肩の裏に縫い付けてもらっていた緊急用の金の入った布袋を取り外すと、家族の写真と家内の髪がお守りとして入っていた。出発前日に縫い付けてくれるよう頼んでいたのだが、こんなものまで入っているとは知らなかった。懐かしさが沸いてきて、しばし見つめた。

 洗えるものは全て洗って、裏庭に干した。そのあとジュリアンが息子のアシュレイと車で市内観光に連れていってくれた。1人だと面倒くさがりで行かなかっただろう俺には、ありがたいことだった。
 午後は明日からのルートを再検討。2~3通り考えてみるが、基本的には単純に東へ進み、中央部へ入って、シドニーへ帰るのだから、走行距離と日数の計算で終始する。また出たとこ勝負になるのだろう。
 バイクで出かける。近くの写真屋でフィルムの様子を見る為、4本だけ現像に出した。日本から持って行った20数本は全部ASA400だったので、天気の良すぎるオーストラリアではどうか、気になっていたのだ。
 そのついでに、1昨日の夜キャラバンパークで出会ったおじさんのモーターサイクルショップへ向かう。市の中心から近いそのバイク屋は、カワサキ、ドカティなどの専門店。息子のロスに成り行きを話すと、歓迎してくれた。
 メカニックのチャーリーにみてもらい、明日の朝8時半に持ってくることで話がまとまる。それ迄に部品(リアタイヤ、チェーン、スプロケット)を揃えておくとのこと。チェーンは1万1000km、タイヤは4700キロしか使ってなく、どちらとももう2000~3000キロは行けそうだが、最終のシドニーまでは持ちそうにない。思い切って交換しておくことにした。
 後ろに工具しか積んでいないので、すごく走りやすく、市内をあちこち走ってみた。写真も心配した程のことはなく、かなり良くできていた。日本のキャビネ判ぐらいの大きさで、このまま絵葉書として十分使える。エアーズロック用にASA100の36枚撮りを1本購入する。
 夕食はカレー。オーストラリアに来て、初めて食べた。スーパーマーケットなどでは、インスタントものにお目に掛かることはなかったので聞くと、スパイスを混ぜて作るとのことだった。久し振りの終日オフで心身ともにリフレッシュされた感じだ。

パース ロックマン氏邸2泊目
本日の走行 パース市内 28.2km

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*金閣寺のご縁

★ 金閣寺のご縁
8月20日 (月) 晴れ時々曇り所により雨  26日目
 明け方、寒さで目が覚めた。無茶苦茶冷える。温度計を見ると6℃。テントのフライシートが表も裏も露でびっしょりだ。こんなに気候が変わるとは思っていなかった。パースへは午後着けばいいという気持ちで、しばらく煙草をふかしながら、地図を眺めてぼんやりする。
 隣の老夫婦がモーニングコーヒーを勧めてくれる。おじいさん、いやおじさんの方は、モトクロスで何度もオーストラリアチャンピオンになったことがあるとかで、今はパースでモーターサイクルショップを経営している。まぁ今はリタイアして、息子に任せているらしいが。
 当然バイクの話になる。リアタイアの山がもうほとんど無くなっており、チェーンもあと7~8000キロあるシドニーまではとてももたないだろうと、相談してみた。彼は、
「メカニックの腕は良いので、パースで息子を訪ねてみろ。きっとうまくやってくれる」
 と言って名刺をくれた。

 久し振りに(ひょっとして初めて)洗車する。洗濯用の粉石鹸をタオルにくるんでそれで拭いて、あとは水で洗い流しただけ。オイルと赤土まみれになっていたのが、なかなか奇麗になった。
 それにしてもリアタイヤの減りが早い。この国のシールドロード(舗装路)はビッチメンと呼ばれ、アスファルトではあるが結構粗い。未舗装の道路は、グラベルロード(よく固まった土道)、ダートロード(一般の未舗装路)、トラック(小路)などと呼ばれている。そういうところを走ればタイヤの寿命ももっと長いのだろうが、俺が計画している一周ルートは、現在ではほぼ舗装されているらしい。オフロードタイヤではこの減り方も仕方がないか。
 朝早くに、管理人のおじちゃんが料金を集めに来た。昨日は払っていなかったのだ。3ドル。だからシャワーもトイレも洗車も、いっぱい水を使ってしまった。

 ちょっと走ると、ジェラルドトンという町に出た。日本から持って行ったただ1枚の名刺、ロバート・ロックマン氏の職場に電話する。彼とは2年前金閣寺で出会った。俺はその時塾の小学生を連れて、外人ハントに行っていた。彼は農業局の役人で、国際会議出席のため、家族と京都を訪れていたところを知り合ったのだ。その後連絡は一切してなかったのだが、彼は覚えていてくれた。
「是非泊まって行け。食事も一緒にしよう」
 と言ってくれる。こっちにも少しはその期待もあったのだが、宿泊所が初めて昼前に決定した。こうなるとちょっとプレッシャーが掛かるのも不思議なものだ。やはり旅は行き当たりばったりが一番。今夜の宿はどうなるのか、と少し不安がある方が俺にはいいみたいだ。
 次の町で銀行に寄った後、ペトロールを入れ、昼飯を食い、ついでにコーヒーを飲みながら、日本へのハガキを書く。気持ちが乗っている時にと思い、結局9枚も書いてしまった。時計を見ると1時半。パースには5時に着くと、さっきの電話でロックマン氏に伝えていた。あと360キロを3時間半、時速100kmでOKなのだが、そううまくはいかない。気に入ったところがあると、止めて写真を撮ったりで進まない。

 様々な緑のフィールドが拡がる裾野に向けて、峠の上から1本の道がゆるくくねりながら続いていく。スリーピングマットをクッションの代わりにして、スピードメーターの上に置き、更にタオルを敷いた後、ビデオカメラを予備のパッキングロープで縛った。
 この風景はとても俺の能力では文章にして残すことは出来ない。走行しながらビデオに残しておこうという魂胆だ。ボタンが押さえ付けられているのだろう。すぐにズームアップしてしまうのを手で止めながら、時々ファインダーを覗いて走る。気が付くと、アクセルはいっぱいまで回っていた。スピードは分からず。だが片手でコーナリングして危ないものだった。
 途中、いきなり雨が落ち始める。急いでビデオをしまい、荷物にプラスティックのごみ袋をかぶせて走り出す。合羽は着ない。すぐに雨雲の下を通過。しばらく走るとまた雨。こういったことが数度繰り返されて、また突入。今度はヘルメットのシールドを雨が流れる。しかし合羽は着ない。突っ切るぞ。もし降り続けていれば、アウトだ。次第にウェアが冷たくなってくる。
「失敗だったか」
 と思ったあたりで雲をぬけた。120km/hで巡航していると、間もなく乾いた。きれいな虹。また写真。そんなことをずっとやっていて、パースに着いた時は、既に6時を回っていた。
 電話をかけて、ロバートに迎えに来てもらう。平屋だが、前には芝生の庭があり、家の中は白い壁。色の濃い木製の綺麗な家具。暖炉。シンプルだが、とてもくつろげる家だ。奥方のジュリアンも笑顔で迎えてくれた。持って行った写真を渡す。あのとき6ヶ月だった坊やは、もうすっかり大きくなっている。挨拶してくれるが、よく聞き取れない。すぐにロバートが通訳してくれる。シャワーを使わせてもらって、やっと落ちついた。
 夕食は、ミートスパゲティ、サラダ。ビール付でとてもうまかった。パースに滞在中、ずっと泊まれと言ってくれる。いいのかなぁ、ほんの僅かの時間、京都で知り合っただけなのに。久しぶりに家の中で寝られる。

パース ロックマン氏宅泊
本日の走行 Northampton ~ Perth 487km

……次回「家族写真と妻の髪」へ続きます

*道なき道

★ 道なき道
8月19日 (日) 晴れ時々曇り  25日目

 昨夜の雲はどこへ行ってしまったのか。空はすっかり晴れ渡っている。気持ちのいい朝だ。それにしてもシェルの上にいきなりテントを張るのは、ちょっと乱暴だったか。割れた小さな貝殻で、テントを傷付ける可能性が大きい。やはりグランドシートは必要だ。
 濡れたテントとシュラフを干し、いつものようにチェーンを手入れして、オイルを継ぎ足す。荷物を整理していると、ホールズ氏が、
「コーヒーが入ったから、来ませんか?」
 と誘ってくれた。好意に甘えて、今朝はティーをいただくことにした。
 やがて俺の出発準備が整うと、それまでその様子をじっと眺めていた2人が、記念撮影をしたいという。最初は夫人と、次に御主人と2枚撮ってもらった。そしてエンジン始動。キック一発。よおーっしゃ、決まったぃ。姿が見えなくなるまで手を振った。

 地図の上ではすぐ近くに見えても、モンキーマイアまではずいぶんある。しかし濃い緑の林の中を一本道がアップダウンを繰り返しながら、ずっと北へ延びている。丘の上から見える海も、海岸近くはシェルの白、それから緑、沖はブルーとはっきり分かれていて、本当にきれいだ。退屈するわけがない。この辺りの海は塩分が多すぎて魚は近寄らないと、昨夜ホールズ氏から聞いた。
 10時到着。入場料が5ドルらしいが、ボート運搬用車両の所から入れば必要ないと、やはりホールズ氏が教えてくれていた。その通りやった。ちょうどイルカがやって来ていて、皆裸足になって海へ入っている。俺はブーツを脱ぐのが面倒で、そのまま浜から、ビデオとカメラの両方で追いかけた。浜では大きなペリカンが遊んでいるが、みんなの目は海の中の親子イルカに注がれたままだ。イルカがいなければ、こいつも主役になれたのだろうが。俺はそいつがじっとしているときに近づいて、きっちり記念撮影をしてきた。子供達の顔が思い浮かぶ。さわらせてやりたいものだ。

 モンキーマイアから24km、同じ道を引き返す途中、斎藤さんから聞いていたデンハムという町に、給油のため立ち寄った。坂を下って行くと、海岸沿いの道路に出た。何と穏やかなこと。俺好みの町だ。海面が道から僅か1mぐらいの所にあり、狭いが砂浜が道に沿って続いている。珍しく小さな土産物屋に入ってみた。ここは、オーストラリアで一番西にある店だとか。なぜか宗谷岬を思い出してしまう。あそこにも、日本最北端の店というのがあったからだ。単純な俺。
 更に129km引き返し、やっと昨日右折したオーバーランダー・ロードハウスへ出る。見ると1人の日本人ライダー。パスするつもりだったのに、急きょ予定変更。パーキングエリアに入って行った。俳優の西田敏行に似た帽子を被っている青年、東京から来ている坂口彰男氏が、
「4日間で2000kmの砂漠を走って、ようやく抜け出してきたところ。何十回となくこけて、ウィンカーもミラーも無くなってしまった。もうボロボロですよ」
 と話してくれる。40分ほど話していると、埃にまみれたライダーがやってきた。俺と同じXT600だ。坂口さんが両手をあげて大声を出しながら駆け寄る。
「無事ならそろそろ逢うはず」
 と、さっき彼が言っていた知り合いの鷹取一さんが偶然にも現われた。1ヶ月ぶりの再会とのことだ。オレンジのモトクロスウェアはすっかり色あせている。彼もまた、道なき道を走り、地元のアボリジニーが、道に迷って何人も死んでいるような奥地に入りこみ、2日間で農家の車1台に遭ったきりのようなところを走ってきたらしい。日程の関係で俺が諦めざるを得なかった、世界最大の1枚岩、マウント・オーガスタス(エアーズロックの2倍の大きさ)へも行ってきたという。どんなものだったか、その感想を聞くと、岩肌には植物が群生していて、エアーズロックほどのインパクトはなかったとのことだ。
 彼らの話を聞いていると全く凄い。道なき道、ストックルートを選んで走る全くの冒険旅だ。ただただ脱帽。とても真似が出来ない。俺のやっている一周など、子供だましに思えるほどだ。まぁ人それぞれだし、一番やりたくて、現在の俺にできる精一杯のことが、今やっていることなので、これでよしとするしかあるまい。
 ロードハウスで昼飯のトーストサンドを頬張りながら、そういう話を聞き、結構わくわくした楽しい時間が過ぎた。記念撮影をして別れる。彼らはこれからシェルビーチへ向かい、俺は南へ下って行く。

 それにしても色々な旅や冒険のスタイルがあるものだと、その後の240kmをノンストップで110km/h巡航しながら考えていた。
 オーバーランダーから200kmも下ると、突然周囲に濃い緑が増えてくる。今までは、淡い色ばかりだったので、よけいに強烈で、新鮮さを感じる。普通の草(牧草か作物)の色が、こんなに奇麗だったとは。そして、緑の色がこんなに沢山あるとは。この頃から気温も急激に低くなり寒くなってきた。震えがくるほどだ。
 ほどなく小さな町があった。キャラバンパークもある。今日はここでテントを張ることにした。飯を炊きながら、チェーンを張ったり、メンテナンスをやっていると、隣のキャラバンから、
「コーヒーはいかが?」
 と声がかかった。いかにもオージーというような老夫婦だ。有難く情けを頂戴することにした。旦那が持ってきてくれる。3枚のビスケット付きなのが嬉しい。このところよく施しを受ける。これからは托鉢ライダーとでも名乗るか。
 益々気温は下がり、9時半現在、外気温はもう10℃を割っている。ここは本当にもう冬なのだ。つい5~6日前までは、泳ぎたいほどの暑さだったのに、随分と下ってきたものだ。

ノーサンプトン・キャラバンパーク泊(3$)
本日の走行 Shell Beach ~ Northampton 457km

……次回「金閣寺のご縁」へ続きます