前原弘昌のバイク旅

オーストラリア紀行 第4章

2010年04月26日(月曜日)

第4章  
冬の旅空、寅さんはゆく
ナラボー~再びエアーズロック
 
  どしゃぶり雨でも  走れたらうれしい
   晴れたら晴れたで  うれしくなる
   バイクで旅ができる  それだけで十分だ

★ “油断”コントロール

8月23日 (木) 快晴風冷たし  29日目
 朝早くに目が覚めてしまった。食堂でルートを検討しているとオーナーの武田正俊さんが起きてこられた。36歳。小柄だが実に均整のとれた身体だ。にこやかで謙虚な姿勢に好感が持たれる。
 武田さんは以前は体操の選手で、現在はトライアスロンに挑戦中だとか。月一度くらいの割りで開催されているマラソン大会にはずっと参加していて、成績もかなり優秀だと宿泊者達から聞いていた。それで朝夕のランニングはずっと続けていて、朝練は軽いとのことだったので付き合わせてもらうことにした。俺はここに来て煙草の本数も増えているし、ちょっと不安だったが、岬の灯台を回って帰ってくる5kmのコースを話をしながら走った。
「スポーツでのマインドコントロールには、以前からすごく興味を持っていたんです」
「そうですか。ほとんどのスポーツで使われていますしね」
「そういう関係の本は何冊か読んだことがあるのですが、実際にそういう仕事をしておられる方とお会い出来て嬉しいです」
「いやこちらこそ。身体を気持ち良く動かす感覚を思い出すことが出来ました。武田さんは、トライアスロンにも出られると聞いたんですが」
「ここは恵まれていましてね、水泳などは地元のプールで、一流のアスリートが指導してくれるんです。お金は3~400円ぐらいですかね」
「えーっ、それはいいですねえ。でもトライアスロンて大変なんでしょう?」
「いえ、こちらのミニコースは、水泳が600m、自転車20km、ラン6kmと、ずいぶんやり易いんです」
「じゃ、初心者には最適ですね。話を聞いているとやりたくなりますよ」
「是非またやりにいらしてください」
 どうしてもスポーツや心理学に関する話が多くなる。1週間後に開かれるロードレースには、武田荘の宿泊者も出るとのことで、茂木さんも別のコースで1人練習していた。
 帰国後石川さんが手紙で結果を知らせてくれた。距離は10km。武田さん、茂木さんは自己新記録。あの柔軟の池田さんは走るつもりはなかったのに突然走り、完走した。しかも裸足で。彼は『靴を履いている』というイメージを持って走ったところ、血豆さえ出来なかったとか。初心者としては驚くべき応用力に思わず歓声をあげてしまった。
 武田さんからは、3ヶ月後便りを頂いた。
『必要な情報をインプットし、ポジティブな気分でスタートラインにつけば、必ず良い結果が出るという事も分かりました。9月30日には20kmで今まで自分が壁と思っていた70分を切ることができました。年を重ねても記録は向上する。ブレーキをかけているのは年齢ではなく、その人本人の潜在意識に内在する、と思えるようになりました』
 と。この時も自分のこと以上に嬉しかった。
 わずか一夜の滞在だったが、居心地が良く、随分と思い出が残った場所になった。
 積み込みを済ませ、記念撮影をして、昼過ぎ皆に送られて出発。途中食料やらパンクの瞬間修理剤を仕入れた。これはチューブには余り良くないらしいが、砂地などでバイクを倒して面倒な作業をしなくて良い手軽さは、使う使わないは別にして、持っているだけで安心感がある。
 再びパースへ戻って、期待に胸を膨らませながらスロットルを開けていく。ここから一路東へ延びているグレート・イースタンHWYに入るときだった。大型トラックの少し後ろを走っていたので、大きな合流地点で信号を見落としてしまっていた。気が付いたときには、右前20m程のところを車が数台右折してきていた。
「しまった!!」
 急ブレーキ。リアタイヤが10m位スリップして流れ、カウンターをあてるとまた逆サイドに流れ、ハンドルを必死で左右に切り、カウンターをあてながらバランスを保とうとした。暴れ馬に乗って、ロデオをしているみたいだった。完全に事故った、と思ったが奇跡的にコケず、大きな三叉路交差点の左側に停車させることができた。
「あー、びっくりした」
 交感神経が思いっきり働いて、心臓の鼓動がすごい。手足も震えている。100km/hは出ていたから、コケたらバイクも身体もただでは済まなかったろう。車はこちらを見ながら、徐行スピードで通り過ぎていく。パトカーはいない。
 ダートでの練習は、休みの日たまに遊び半分でしていたくらいだが、それでもその経験はここでずいぶん役立ってくれた。そして痛感したことは、『絶対に諦めてはいけない』ということ。あきらめない限り、身体は全能力を出して対応してくれる。人生も同じに違いない。その後は、信号には特に気を払った。
 油断はできない。ここでポックリ、と思うとぞっとする。日本に連絡が行き、家内が血相を変えて飛んでくる。しかし、俺にはそれがもう分からない。こんな迷惑のかけ方はない。これは日本でも同じことだが、今は特に他国を1人で旅しているのだ。素人の俺にとってこれは1つの冒険なのだ。生きて帰らねば。待ってる人がいてくれる。油断とは油が切れることらしい。心も機械も油断大敵、というところか。
 が、パースに来るまで4000km程、まともな信号に出合っていなかったし、この先も1000km以上の単位で信号はなかったので、『注意1秒』を続けるのは結構しんどく、いつの間にかこの気は、緩みかけていた気を引き締める人生論に変わってしまっていた。
 昼食は昨朝出掛ける時にロックマン夫人が作ってくれたサンドイッチを頬張った。地図を眺めてみる。時刻は3時。どうもカルグーリまでは行けそうにない。あと550km程もある。ずっと手前に、サザン・クロスという町があった。そこまでなら300km。町の名前もズバリ南十字星。いいではないか。そこまで行こうと思い、また走り出す。日中も風が冷たかったが、夕日が落ちると更に冷たさ、寒さが増してくる。冬というのを思い出した。
 6時半到着。日本へ電話を掛けて、家内に無事東へ向かっていることを知らせる。もうすぐ末娘の由佳の1歳の誕生日だ。その日はまだオーストラリアを走っている。祝いは、帰ってからしようということになった。
 町外れのキャラバンパークの芝生にテントを張る。ここは3ドルだが、テントサイトは最高。すぐ近くの洗面所の蛍光灯で、結構明るい。芝も綺麗に整っていて気持ち良いし、食器の油を拭う砂もある。飯を炊き、今日買った肉を3枚焼く。酒を買いに町のバーへ行き、1番安いワインを1本手に入れた。酔って身体があたたまればそれでよい。トイレもシャワーもすぐ近くで、その明かりで十分明るいディナータイムが楽しめた。星もきれいだ。

サザンクロス・キャラバンパーク泊(3$)
本日の走行 Fremantle ~ Southern Cross 393.3km

……次回「雨の日の赤玉ポートワイン」へ

北米⑦*今この時を…

2010年04月25日(日曜日)

*今この時を大事にしたいから

午後からは試走を兼ねながら買い物。町中でスピードもあまり出せないが、スムーズに加速できて乗り心地は極めていい。右側走行だけでなく、左右のハンドルについている各スイッチの使い方にも、慣れておくに越したことはない。

スーパーやアウトドアショップで荷物のパッキング用ロープやドカシーをはじめ、あれば便利な小物を買い込んでいく。旅のイメージもそれに従って、徐々に盛り上がっていくのだ。

ところで、こちらのスーパーには『エキスプレスレーン』なるものが設けられていた。これは少量(普通8点以下)の買い物客専用のレーンで、スムーズにレジを通ることができる。日本の日常生活の中で、一品だけでも大量の買い物客の後ろに並んで待たねばならない不合理さを何度も経験したことがある。急いでいるときは特にそうだったが、このシステムは時間の節約にもなり、顧客の側に立ったサービス精神に思わず拍手!の気持ちになった。

出発は7月25日、と決めていた。まる4日ある。その間に旅の準備をしながら、家族と観光にも出かける予定も立てていた。行き先は、ナイアガラの滝だ。

4時半に起床して、弟の車に家族5人が乗り込んだ。義妹の裕子(ひろこ)さんは、車の手配ができなかったために留守番するとの事。片道150km、1時間半で到着。

テレビで見たことはあったが、実際に目の当たりにすると、スケールの大きさにのけ反りそうだった。地響きがするほどの水音、しぶき。五大湖の東から二番目のエリー湖から、一番東のオンタリオ湖へ流れる水が落ちていく。カナダとアメリカの国境をまたいで、カナダ滝(幅約780m、落差約56m)とアメリカ滝(幅約333m、落差約58m)に分かれている。

流れに目をやるとあまりの水流の激しさに滝壺に吸い込まれそうになる。

遊覧船『霧の乙女号』に乗り、約15分間の滝の下からの観光。下から見上げる滝は、アメリカ滝もカナダ滝も震え上がるほどのド迫力だ。支給されたブルーのレインコートを着てはいるが、水しぶきがかかりまくって靴やジーンズはずぶ濡れ。女房や子供達がきゃーきゃー言って、喜んでいる顔を見ていると、やっぱり一緒に来てよかったと思う。

俺は家族サービスなどとは思っていない。心配するから女房には言えないが、ツーリングの途中には何があるかわからない。家族5人で一緒に行動することも、あと何年かしかないだろう。だから俺はこういう時を持てることがとても嬉しく、また大切にしたいと思う。決して俺が家族に対して、無理をしながら、してやっている訳ではないのだ。

ツーリングの最後、アメリカからカナダに入るとき、ここを通るルートを予定している。その時はどんな経験と旅の想い出を持って、ここを訪れるのだろう。

明後日からの一人旅を想うと、妻や子供達との想い出をもっともっとつくっておきたいと思った。それが一人になった時のエネルギーになるのだから。

 

もう1冊の日記帳①

7月21日
 いつか来てみたい国のひとつだったカナダ。そこに今日やってきたのです。5年前、伊丹空港で寂しい気持ちで隠れて涙しながら弘昌さんをオーストラリアに見送った。だけど今日は家族みんなで、同じ飛行機に乗ってカナダまで来れたんだもの、こんな幸せはないよね。

飛行機の中で22日になるはずの夜を迎えたのに、また21日の朝を迎えてとっても変な感じ。

3日ほどすれば、弘昌さんは北米ツーリングに出かける。そのことを考えると、やっぱり寂しい……。

 

7月22日
 朝日がガラス越しにまぶしく顔に映った。「すっごーい、カナダの朝なんだー」と感激。

弘昌さんと孝司さんは知り合いの家に出かけ、夕方帰ってきた。ツーリング用品を少し買ってきている。もう心は旅へ。その嬉しそうな顔を見ていると、申し訳ないが私には不安がつのる。火曜日(25日)に出発するとのこと。あと2日間。せっかく子供達もそろっての家族旅行、しかも海外へ来ているんだから、いっぱい写真を撮って思い出作ろうね。明日は早起きしてナイアガラの滝を見に行く。夕食は外でバーベキュー。


…次回「第一章」へと続きます。お楽しみに。

オーストラリア紀行*メシに…

2010年04月09日(金曜日)

★メシにつられて武田荘へ
8月22日 (水) 快晴  28日目
 お世話になったロックマン氏宅をあとにする。昨日の約束でモーターサイクルショップへ向かった。9時前から10時ちょっと過ぎまででチャーリーが仕上げてくれた。交換して、もはや中古品となったタイヤ、チェーン、スプロケットは共に持ち運ぶことにした。随分な重量増になるが、もうこれ以上新品と交換は出来ない。出来れば最後まで使いたくはないが…。248.6ドル。
 昨日電話でフリマントルの武田荘にいる石川美樹さんに連絡し、フィッシュマーケットへ連れていってもらうことになっていた。日本人旅行者専用という民宿、武田荘があることを知ったのは、オーストラリアに来て旅を始めてからだった。ガイドブックなどには載っていたりもするらしいが見ていなかった。
 西海岸では、蟹やエビがいっぱい捕れる、と色々な人達から聞いていたのだが、いまだにその様な場所に出くわしてない。こうなったら最後の手段で、買ってでも食べてやろうと思った訳だ。
 フリマントルへはパースから南へ20分も走れば着ける。約束の11時きっかりに、待ち合わせ場所のフリマントル駅前に到着。ほどなく彼女は茂木栄さん、池田和史さんという2人の武田荘の住人だという青年と共に来てくれた。石川さんは、ブルームで別れた後、ここへ帰ってきたとのことで、あのとき一緒だった東海林さんは、昨日日本へ帰ったとのこと。
 海べりのマーケットで渡りガニと、何か分からないが蟹の足、それにタコを仕入れる。俺は浜辺で湯がいて食えればいいと思っていたのだが、
「御飯はたくさんある」
 との言葉につられ武田荘へまでのこのこついて来てしまった。日本的な落ち着きと、オーストラリアののんびりしたところをミックスさせたような快適な住居は、ついつい長居をしたくなる気分にさせてしまう。3~4週間の滞在はザラ、数ヶ月にまで及ぶ人もいるらしい。パースもフリマントルも海が近くて綺麗な所だし、その気持ちは分かる。
 今日は宿泊者もあまりいないとのことで、ちょうど昼時でもあり、台所を占領し、塩ゆでしたカニやタコを4人で食いまくる。何だか留守宅へ上がって、したい放題やっているような後ろめたさに似たものもあったが、冷蔵庫からビールが取り出されると、おしゃべりにも一段と花が咲き、腰もすっかり落ち着いた。
「これも縁。話題ついでに今夜はここに泊まっていくかー」
 という気になってしまった。
 いつからか心理学の話になってしまう。50円玉を持ち出してきて、みんな振子の練習をやり始める。オーナーの武田さんが帰ってこられたときには、ヒューマン・ブリッジまでやってしまい、結構ワンパターンな人間である。最初はびっくりしても、理屈が分かればみんな納得してくれる。
 夜は、小学校の頃から身体が90度までしか曲がらないという池田さんに、筋肉を伸ばす方法を教えたところ、10分ほどで手が床まで届くようになった。彼はすっかり自信がついて、あれ程嫌いだと言っていた柔軟をずっと自分で練習している。掌もつくようになったとか。今日は彼の25歳の誕生日だそうな。ささやかなバースデイプレゼントにはなったかな?
 茂木さんはここでホンダXLV750を手に入れ、これから3ヶ月かけて一周に出発するそうだ。その初々しさが良かった。色々教えて欲しいと言われたのだが、俺の知っていることはごく僅か、期待に応えられたかどうかは分からない。
 明日からはもう後半戦、といったところか。独り旅がまた始まる。

フリマントル・武田荘泊(15$)
本日の走行 Perth ~ Fremantle 33.0km

もう1冊の日記帳(4)

8月20日
 午後7時10分 期待通りにTELあり。パースに到着とのこと。よく聞こえなかったけれど、『写真の人』とかなんとかいう人のところへ泊めてもらうと言っていた。女性かな、男性かな?聞いてやろうと思ったのに、切れてしまう……。

……次回「“油断”コントロール」へ続きます

北米旅⑥ *弟の粘り強さに…

2010年04月08日(木曜日)

*弟の粘り強さに脱帽

 この国で国際免許で車やバイクに乗るのは、3カ月以内の滞在者だ。3カ月を過ぎれば、カナダの免許を取らねばならない。3カ月までの観光ビザで来ている住所不定の男に信用はない。日本での任意保険の長期無事故証明書を持参していたが、あまり信用が増したようには思えなかった。先進国日本で用意されたものは、世界中どこでも水戸黄門の印籠の如く威力がある、とまでは思っていなかったが、ここまで信用されないとガックリくる。俺は、

 「もういいから他を当たろう」
 と、弟に合図しようと思った。しかし、弟は粘り強く食い下がって、何か突破口を見つけだそうとしていた。その姿に俺もすぐに思い直して、信用が少しでも得られるように合いの手を入れた。そのうち、契約は途中解除でき、払い戻し金もあるとの情報を引き出せた。契約するならこれしかない。そしてついに、870カナダドル(6万900円)で話がまとまった。嬉しいのと同時に、弟の姿勢に教えられた。俺が5つ歳上だが、長年海外で苦労し鍛えられた弟は、俺の予想以上に成長していた。

 日頃塾や専門学校などで、生徒相手にえらそうな事を言っていても、活動する場が変わればこの始末だ。俺はいつの間にか温室育ちになりつつあったのだ。語学力の問題だけではない。精神的に足りない何かを感じた。これは今回の旅のテーマになりそうだった。

 車で10分くらいの所にある、ナンバープレートを発行してくれる事務所に直行。俺の列は、中国系の女性が係官だった。

 「いい番号よ。3がついてるわ。中国では、3と8はラッキーナンバーなのよ。日本でもそう?」

 ナンバープレートが手に入っただけで、嬉しさがこみ上げ、何でもOKになっていた。その質問にも、にこやかに、

 「ええ、そうです」

 と答えた。ラッキーナンバーは人によって違う、というのが俺の考えだったが、別にこだわらなかった。自分の誕生日や今日の日付で馬券を買い、当たればそれがラッキーナンバーになる。パチンコをする人なら7や3か。マイナスイメージでとる人は、4は『死』だから縁起が悪いと言うが、『幸せを運ぶ』のは、4ツ葉のクローバーだ。俺はプラスにとりたい。1月1日は元旦でおめでたいし、八は末広がりだし、ラッキーナンバーはきりがないほどある。

 彼女の言ってくれた幸運の番号3は、俺のバイクも無事に旅を終える事ができる特別な番号のように思えた。

 ガレージで、ナンバープレートを取り付けた。

…次回『今この時を大事にしたいから』に続きます

北米旅⑤ *ワクワクの旅立ち…

2010年03月31日(水曜日)

★ワクワクの旅立ち準備~トロントにて

 家族と共にトロント空港に降り立ったのは、出発と同じ7月21日(金)の夕方。夕方とはいえ陽はまだ高く十分明るかった。

空港には弟の孝司が迎えに来てくれていた。空港からそのままヤマハのガレージに向かい、今回の旅の相棒と初の対面となった。

弟とのFAXのやりとりで、俺が選んでいたのは、『ヤマハXV1100ビラーゴ』だった。しかもそれは弟の手配で、最新型である96年型カナダ仕様の第一号機という代物(しろもの)。車高が低いので、足つき性がよく、ゆったりと座れるアメリカンタイプの大型バイクだ。今回のバイク選びでは、オフロードタイプも考えないではなかったが、この大陸ではやっぱりアメリカンにしたかった。何と言っても、本場なんだから。

色はブルーとシルバーのツートンカラー。一度は最高時速に挑戦してみたいスピードメーターは、200km/hまで刻んである。跨(またが)ってみると見た目以上に柔らかいシート。これなら長い距離でも、尻や腰への負担も軽くてすむだろう。後部座席には背もたれと小さなキャリア(荷台)つき。駆動方式はシャフトドライブなので、チェーン交換の心配はいらない。タンクは満タンで16・8リッター(4・4USガロン)、200kmくらいの航続は出来るだろう。後続車に危険を知らせるのに便利なハザードランプ付き。クラクションも自動車並みのやわらかい快適音だ。

オプションとして俺が依頼していた。高速クルージングが楽にできるウィンドスクリーン(風防)と、転倒に備えてのエンジンガードも既に取り付けてあった。弟とヤマハの現地スタッフの方々の厚意にすっかり甘えてしまった。これで京みやげ『生八つ橋』ひと箱とは、ケチり過ぎたか。

ヘルメットを買いに、バイク用品を販売しているショップへ行った。その店にはアメリカンスタイルのツーリンググッズとモトクロス用のグッズ、それとバイクが店内に所狭しと並んでいた。だがヘルメットは失敗。日本の方が、種類も品数も価格も断然恵まれていた。

ヘルメットと共に、革のサイドバッグを購入。シートの両側に振り分けられ、ロングツーリングではかなり有効に使えそうだった。

ところで、ナンバープレートを交付してもらうには、保険に入っておかねばならない。

事前に弟が2、3社当たってみたところでは、保険はないとのことだった。何とかできそうな会社でも、金額がべらぼうに高い。10万円以上かかるのだ。こちらの保険は自由競争だから、保険会社によって、金額はまちまち。やっと探し出した一番安い所へ出かけたのだが、バイク人口が少ないことで、担当のおばちゃんも取り扱いには慎重だった。国際免許で短期間バイクに乗ること自体が、大都市トロントでは普通ではないようで、話は進まなかった。

……次回『弟の粘り強さに脱帽』へ続きます