前原弘昌のバイク旅

オーストラリア紀行 月を見ながら…

2011年07月04日(月曜日)

月を見ながらウイニングラン

9月5日(水)晴れ 42日目

 ついに迎えた最終日の朝。一面に霧がたち込めて、バイクもテントもびしょ濡れ。しかし中々幻想的な世界だった。この分だと霧を抜けると青空が広がっているだろう。
 220㎞走ったヤスという町のスタンドで、オイルを交換する。前回の交換から、約5000㎞も走ってしまっていた。オイルの汚れと傷みはひどく、地面に落ちても少し経つと水のように広がってしまう。このスタンドの兄ちゃんは、あれやこれやと親切に道具などを貸してくれた。俺も売り上げに貢献するために、ここで昼食をとることにした。
 このまま突っ走れば、シドニーまであと300㎞くらいで、夕方には着きそうだったが、やはり仕上げは海岸線を走ってみたく、首都キャンベラを経由して南に走ることにした。

 キャンベラの町への入り口で、ギアは入っているのに突然バイクが走らなくなってしまった。エンジンは動いている。点検してみると、チェーンが外れていた。もう目一杯張っていたのだが、それでもたるんでしまい気にはなっていた。最後まで持つだろうと思っていたが、ちょっとのギャップに入り、外れたらしい。
 とりあえず街まで走って、バイク屋を探す。通行人に聞くと、ラッキーなことにすぐ近くにあると言う。2コマほど切って欲しいと持ち込んだ。担当した兄ちゃんは3コマ大丈夫だろうと切ってしまったが、切り過ぎでつながらない。このチェーンは、パースで交換したやつだったが、安くて結構早くからガタが来ていたので、スペアに持っていたものと交換することにした。パースから重量が増えるにもかかわらず、中古品を運んできたが、最後の最後でやっと役立てることが出来る。
「気にしないでいいから、安くしといてよ」
と言って、結局修理代、いや交換代たったの5ドル。

 キャンベラは緑が多く、建物も主要なものはあちこちに離れて建っている。いつも感じる事だが、駐車場の広さがすごい。ゆったりとしていて、しかも整然としている。バイクで走ってみただけの街だったが、さすがに都市計画の段階で世界中から出された案を検討しただけあって、他の街にあるような雑然さはなかった。
 朝、今日のルートを決めるのにスタンドのねえちゃんに聞くと、
「キャンベラから南のベイに出る道?テラボー(ひどいものよ)」
と首を振っていたので、少し腹をくくっていたのだが何のことはない。この峠道はまるで日本だ。快適なワインディングとアップダウンが続き、山脈を越えた。ここだけはオーストラリアという気がしなかった。九州か信州辺りの山の中を走っているという感じだ。
 とりあえずの目標標識は、タスマニア海に面したベイトマンズベイ(B・B)。そこからプリンス・ハイウェイでシドニーまでは一本道。
 ハイウェイに出る10㎞ほど手前の山の中で、車が道端に止まっており、ボンネットからは煙が出ていた。何と、おばちゃん(失礼、マダム)が1人でエンジンルームをのぞき込んでいる。Uターンして、
「大丈夫ですか?」
と声をかける。
「あまりよく分からなくて…」
緊急用の本を見て、1人何かつぶやきながら、調子をチェックしている。
『エンジンはかかるか』『オイルは漏れているか』『白い煙か、黒い煙か』とか状況によって対処の仕方が書いてある。
「ふーん、こういうものを持ってちゃんと使えるのがすごいな」
と思う。おろおろしないで、現状の認識とどうやればクリアできるかを考える。当たり前と言えばそれまでだが、日本でも同じだろうか。どう見ても60を過ぎているようなおばちゃんだ。お袋のことが思い出された。
 日没までの時間が余りなく、急ぎたかったが、何もできないまでも、しばらく一緒にチェックしてあげ、ゆっくりなら走れるようになったので、俺も出発した。こういうのを見ていると、放っておけない性分はどうしようもない。

 プリンスHWY・R1を少し急ぎ気味に北上して行く。あと250㎞。しかし太陽はもう時々隠れ初めている。
「まだ5時前なのに。そうか、ここは地平線まで落ちるのが見れないのか。山があるんだ」
 おまけに冬。ここのとこ雨続きだったので、夕日を見ていなかったことにやっと気が付いた。
 結局、旅の最後、海を眺めながらのウイニングラン(?)は諦めざるを得なくなり、代わりに月を見ながらすっかり冷たくなった空気を切っての走行となった。
 ミリタリー道路沿いにある辻村氏の経営する店に着いたのは午後10時。レストランは既に閉まっていたが、クラブは深夜まで営業していた。
「お疲れ様でした。遅いから心配していたんですよ」
と彼が出迎えてくれた。
「やあ、ただいま。心配かけて済まなかった。無事帰って来れたよ」

 汚れたウェアのままで、奥のテーブルに荷物を運んだ。出発時には準備中だったこの店も、すっかり軌道に乗ったらしく客も多い。日本の商社マン達に交じって、オーストラリアン・サファリの企画をした『TSP太陽』の人達も来ていた。彼の紹介で、2~3人の人と挨拶を交わした。
 俺のために彼が用意してくれた、店の一番奥のソファでビールをあおる。
「はぁー。ついに終わった」
両手を膝の上に置いて、天井を仰いだ。静かなため息が出てきた。たまらないほどの充実感と、祭りのあとの寂しさにも似た複雑な気分が、ビールとともにゆっくり身体にまわっていった。

  シドニー・辻村氏のマンション泊
  本日の走行 Holbrook ~ Sydney 717・4㎞

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     もう一冊の日記帳⑥
      9月1日  お父さんから由佳の誕生日のお祝いのTEL。
      昨日かけてきてくれたから、今日は多分忘れている
      だろうと思っていたけれど、さすが~。ありがとう。
      あと8日。
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 …次回 『エピローグ 旅の終わりに』 に続きます