オーストラリア紀行 しめくくりは…
2011年06月27日(月曜日)
しめくくりはテントで
9月4日(火)曇時々雨 41日目
肩の少し後ろ、肩甲骨の横が、焼け火箸を突っ込まれたように痛む。以前からコリはあったのだが、やはり毎日の負担は相当なものだったらしい。丸い石を患部に敷いて、仰向けになる。指圧ならぬ石圧か。それでもずいぶん楽になった。
走り始めて最初に見かけた公衆電話から、カンタス航空への予約の確認を入れた。9月8日午前7時発。禁煙席を頼んだ。旅の終わりに煙草もしばらく止めようと思い、昨日から休煙し始めていた。フリマントルで武田さんに影響され、帰国したらトライアスロンの練習をすることにしていた。煙草は無用だ。ついでにシドニーの辻村氏にも、そこから連絡した。(8月半ばに連絡したきりだった。)
「前原さん、気になっていたんですよ。無事なんですか?」
「ああ、元気。しばらくぶり」
「今どこにいるんですか?いつこっちへ帰って来るんですか?」
「メルボルンに向かっているところだから、明日の夜にはそっちへ着けると思う」
「じゃ、気を付けて。楽しみに待ってます」
メルボルンには昼頃着いた。大きいだけで大した印象はない。たくさんの人間がいるが、まるで乞食でも見るような顔でこっちを見る。ほとんどの人間がそうだ。こっちが驚いてしまった。まぁ、ビニール袋を沢山着けて、確かに奇妙な格好ではあるが。
日本でも時々あるが、ここにもそれに似た俺の嫌いな雰囲気があった。見知らぬ者に対しての大らかなフレンドリーさとでも言おうか、そういうものが薄いと感じた。多分多くの人間の中で生活していると、人が懐かしい、などという感情は少なくなってくるんだろう。
アウトバックで走っている時は、大都会からやってきた人達も多かっただろうが、それでも互いに手を上げて挨拶した。人を懐かしいと思える場所だった。
大都会にいると人間は乾燥してきて、乾燥しているアウトバックの方が、人は感情が潤っていた。そう感じさせてくれたメルボルン。新しい高層ビルがあちこちで建設中だった。
R1を南下して、海沿いにシドニーへ戻るつもりだったのが、道を間違え(何しろあまり地図を見ない)、最短コースのフリーウェイR31に入ってしまう。
「えーい。いいか。これも何かの因縁だろう。このまま行けば首都のキャンベラにも寄ることができるし」
しかし眠い。たまらん。バイクを止めて(本当はイケナイのだが)道端に横になる。合羽を着ているので、少しくらい草が濡れていてもどうということはない。しばらく眠ってまた走り出す。
後ろから車がどんどん追い抜いていく。左肘」をタンクについて110㎞/hで巡航していると、横に並んできた車から、こちらを見て左手の親指を立てサインを送ってくる。こっちは笑顔で同じサインを送り返す。フリーウェイにはこういう触れ合いがあり、心は和む。
眠気覚ましに歌を歌うことにしたが、新しい歌など全く知らない。もう10年以上も歌など仕入れていないのではなかろうか。時代に取り残された人間になっているかな、などとつまらん事を考えてしまえるくらいに、頭と時間にゆとりがある。走行中に歌を歌うというのは、今回が初めてのことではない。いや、アウトバックを走ってきたほとんど毎日、歌わない日はなかった、と言ったほうが正確かも知れない。思いつく持ち歌を全部歌っても、全く足りず、時には2回り、3回りと続いていく。それほど直線路が長い、ということでもある。そして、真っ先に思い浮かぶのが、いつもこの歌だった。
♪夢にー飛びーこむー
そーれがー若ーさだー
そうともこれが青春だー♪
『これが青春だ』という、かつての学園もののテレビドラマの主題歌。ヘルメットの中で、どなるように歌い続けると、武者震いがくるほどの気持ちの高まりを感じる。こういう詩が、俺の人生観の土台になっている、とはうすうす気が付いていたが、この旅ではっきりそれを認識した。
「テレビばあ見とらんで勉強せえ!」
口癖のようにこう言う親の目を気にしながら見た番組の数々。俺は岡山県西部の備中町という、山と川に恵まれた村で生まれ育った。今思えばテレビっ子世代のハシリでもあった。次々と20~30年前の歌が口をついて出てくる。テーマソング、フォークソング、歌謡曲、無差別なんでもあり攻撃。気持ちが見事にタイムスリップした。まさに青春時代だった当時の情景が、ありありと思い浮かべられる。歌にはそんな不思議な力がある。
そしてこれは快適だった。眠気もふっ飛び、身体も疲れない。バイクの調子までも良くなった気がする。
メルボルンから350㎞ほど走ったAMPOLのガソリンスタンドで給油して、そこの敷地の芝生の上にテントを張らせてもらった。レジのおばちゃんに話して、
「オーストラリア一周の、今夜がバイク旅の最後の夜なんです。一生の記念にあの芝生の上で眠りたいのですが」
と頼むと、
「トラックの運転手も時々寝ているから大丈夫でしょう。トイレもシャワーも使いなさい。お金はいらないから」
と言ってくれた。情けに感謝。雨が降るのは分かっていたが、やはりしめくくりはテントにしたかった。3日ほど前、あまりに寒かったので、もうおしまいと思っていたが、雨がちなのでそう気温は下がらない。大丈夫だろう。
夕食は豪勢に肉と野菜、卵、飯。全部大盛。持っている材料全てを使った。そしてワイン1本。7~8ドルかかったが、日本でこれだけ食えば5000円は下らない。肉だけでそれくらいはするか。
食後疲れてすぐに横になって寝てしまい、夜中ロードトレインがテントのすぐ側に止まる音で目が覚めてしまい、長々と日記を付けてしまった。頭が回らない。まとまりのない文なのだろうな。只今二時半。
ホルブルックのスタンドの敷地泊(タダ)
本日の走行 Stawel ~ Holbrook 627㎞
…次回『月を見ながらウイニングラン』に続きます