北米旅③ *いい塩梅の…
2010年03月17日(水曜日)
★いい塩梅のこころ加減 ~日本にて
「前原さん、次の目標はどこですか?」
1990年のオーストラリア一周ツーリングの2年後、旅の日記をまとめて『自由じかん20000km』と題した本を自費出版した。新聞・雑誌に記事が載ったことで、テレビ・ラジオにも何回か出演の声がかかった。講演も何度もさせていただいた。その後で、必ずといってもいいほど出てきたのが、この質問であった。
「まだありません」
その時はそうとしか答えようがなかった。それが正直なところだった。
豪州バイク旅という、俺にとってはたまらないほどの夢を実現し、さらにそれを本にするという夢も実現できた。その余韻を味わうこともなく、次の欲望を無理矢理つくるようなことをしたくはない。
「次は○○です」と即座に言えば、格好は良いのかも知れないが、無理して背伸びをすれば、自分が自分でなくなる。余韻と想い出に浸る時間は、充電の時でもあるのだ。これは趣味であってビジネスではない。自分の気持ちが盛り上がってくるのを待てばよい。こんな心のいい加減さを大事にしたいとゆっくりしていた。ともすれば、『いい加減』は、おおざっぱで無責任という悪い方に解釈されがちだが、俺は『いい塩梅(あんばい)のこころ加減』として、自分の心のバランスをとるキーワードのひとつにしている。
そして待った甲斐があり、新しい目標が出来た。北米大陸一周。その気持ちは、自分の思いとは少し違って、かなり急速に盛り上がっていくことになった。
カナダ・アメリカを選んだ一番の理由は、実弟が仕事での出向で、家族と共にカナダのトロントに住んでいたことだ。映画『イージーライダー』のような旅にあこがれ、いつかはアメリカツーリング、との思いはあったが、
「ビッグバイクに乗ったアメリカの旅など、いつでも出来る」
という思いも同時にあった。だが、『いつでもできる』は、『いつまでもできない』に通じる。実際、俺は長年京都に住みながら、観光都市としての京都はあまり知らない。思いついた時がやる時なのだ。
それに基地になる場所があるに越したことはない。まして弟の勤務先はヤマハだ。バイクを選ぶ際にも何かと情報を得やすい。日本ではライバル会社であっても、海外では横の交流がかなりあると聞いている。他社のバイクでも入手は大丈夫だろう。色々な生きた情報も得られるはずだ。夢はこうして膨らんでいった。
夢実現の一番の難関は、今回も女房をどう説得するかだった。
84年の日本一周は、スンナリOKが出た。オーストラリアの時は、ずーっと反対。両親も女房の味方になり、その連合軍を説得せねばならなかった。資金づくりやルートを考えるよりも、これらの行為の方がずいぶん大変だった。今度もそういうことをクリアーするのは、非常にしんどく思えた。あれこれ案を練ってみたが、結局、最良の方法は、
「やっぱり、みんなで行くしかないか」
という扶養家族を持つ親父としては、ごく当たり前かつ単純なものだった。
子供達の夏休みに合わせ、家族を一緒に連れていき、彼らは弟の家庭に預けて、俺は準備ができ次第、ツーリングに出かける。数日間は、観光もしながら家族一緒に過ごせる。弟家族への迷惑を別にすれば、俺にとっては、いいことづくめの思いつきだった。
「バブルも崩壊して、状況も変化しているから、いつ帰国命令が出るかわからんよ」
という弟の言葉は、計画を急がせるに十分だった。2年も3年も待ってはいられない。正月に思いついて、夏に実行に移すことにした。
「行けば何とかなる」
これは俺のいつもの考え方だ。だが気楽に構えてはいても、やるだけのことはやっておかねばならない。
…… 次回 『家族をいかに説得するか』 に続きます